 ■ドクターキリコが主人公のスピンオフを楽しく読みました。原典のテイストもありつつ、現代ものとしても楽しく読みました。そう、本来1970年代くらいがブラックジャックの舞台なので、どうしてもキリコの様々な設定と、2010年代が合わなくなる恐れが出て来ます。
もっとキリコの話が読みたいと思いつつ、いい所で完結したのかもと思います。あの頃の平均寿命は80歳いかなかったのですが、今は100歳越えの方が珍しくありません。社会もずっと複雑になっていますし、「マンガ」の題材に事欠かないと思いますが、キレイに白い死神が終わった事を嬉しく思う気持ちもあります。
■高松とグンマの話なのですが。「よくある事」とも言えそうです。嬰児すり替えなんて、よくあるはずないのですが。
大体のハラスメントは「アナタの気のせい」「自意識過剰」「アンタだって喜んでその人と一緒に何年もやっていたじゃない」「気の持ちよう」「あの人だって、アンタを大事に思うから〜」「親心よ」「アナタは人に感謝の気持ちがないの?」などと圧殺されます。
段々被害を訴える事自体が、自身のダメージになる事に気がつくのかもしれません。どこかで読んだのですが、道路で他人に意味もなく殴られたら暴行罪なのに、親が子を搾取・暴行・罵倒等するのは、「親心」と呼ばれます。
高松はそこまではしないと思いますが(だからたちが悪い。未成年略取なのに)。結局PAPUWAグンマは、「だってグンマだって高松に懐いていたでしょ」「あんなに慕っていたじゃない」と、被害を父親にさえ認知されないままなのだろうと思います。
子供は育ててくれる人を選べないし、生存本能として「育てれくれる」人をある程度までは慕う様に、生まれながらにプログラミングされています。たったそれだけの事なのに、「あんなに仲良かったのに」とかあたかもこっちが悪い様に言われるのが「親子」です。
(ちなみに日本の法律だと、誘拐されたグンマが高松を訴える事は可能。多分高松は有罪になるが、マジックがグンマの報復のためにそこまで賛成しないと思うから、ウヤムヤなんだろうと思う。)
■去年も書いた気がしますが、春が苦手です。年を取った今ならある程度までは自分を押さえられますが、若い頃は毎年軽くパニックでした。
卒論が通って、就職先も決まったある春。「職場ってどんなところだろう」と不安で震えていたら、「学校を卒業して、仕事に就く前の、人生で一番楽しい時なのに何がいやなの」と言われ、実に自分の気持ちを説明できなくて困った事があります。
「先が読めない恐怖」なんてのは、自分以外の人類には無縁らしいと知り、イラッとなり(生理痛みたいに個人差でもあるのか?)。自分を安心できる暗示を強制的に発動するようになって十数年とも言えます。「他に楽しい事を考える」「多分この春も乗り越えられる」と、自分を鼓舞するような。
今日も職場は異動他でザワザワしていました。信用できる人につい、「このザワザワした空気に酔うと言うか、圧倒されて苦しい」的な事を訴えたら、彼女は「私もそうだ」と言ってくれました。竹淵のためにわざわざそう言ってくれたのか分かりませんが、何とか4月1日を乗り切って家に帰りました。 |
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