 ■明日、わ鉄に乗ろうと思います。終点で日光行きのバスがあるそうで、行こうと思えばどこへでもいける路線ですが、間藤で折り返す予定です。幸い、トロッコの予約も出来ました。
「お子さんは何人いますか」的な質問を駅員から受けた気がしますが、「切符は一枚でお願いします」と答えました。自分くらいの年齢だと、観光地等に行けば「絶対に、このおばはんには夫や子供達が同行しているはず」とみられるのは避けようがありません。
若い時だって、ちょっと一人で遊びに行けば、「本当に一人で来ているの?カワイソウというか、貴方頭おかしいね」くらいの扱いでした。今更なんだと思います。自分は本当に楽しみたい場所なら、一人で行きたいと中学くらいの時から思っていました。同行者の御機嫌をうかがいながらの旅はイヤです。
■読もうと思っていた、野上弥生子の作品や評伝に手をつけています。とんでもない才女なのは評伝の冒頭から分かりましたが、恵まれた環境と言うのも、見落としてはいけないと思います。
環境が〜とかいうと、例えば「アタシ小説家になる!」とか少女時代に豪語して、別にそうはなっていない竹淵が自分を慰めようとしているようでイヤですが。
上野女史が、今年の東大の新入生に言った言葉が。「貴方達が学校に入るための努力を、する気になったという時点で既にいい環境にあったのだ」だとかです。
とんでもない勉強量がないと、東大には入れないはずで、受かるかどうかわからない受験勉強への支援、もしガリベンとか言われてもくじけないだけの周囲からの理解、金銭援助と、確かにそうです。
まして女性が仮に大学に受かったとしても。自分の選んだジャンルで大成するのは、天文学的に少ない可能性の様です。女教授、女医師などは、すでに数多いる「彼女達より出来ない男子」がはいているゲタより、高い業績がないとその地位にはつけない訳で。
野上女史は怖いもの知らずというか。仮に文豪ゆかりの女性だから作家になって当たり前と言うならば、漱石の妻の鏡子さんのように、毎年妊娠・出産している様だと、作家にはなれますまい。
まして金使いが一般人と違う漱石、漱石自身が面倒くさい人なのだし、鏡子さんの苦労は並大抵ではなかったと思います。そして鏡子さん自身も、若干揺らぎがちな所があった気がします。
野上女史を、「優秀」「しっかりしている」「すごい女性」と言ってしまうと、ウソではないのになんかもやっとします。外国の貴族のように、家事など一切しなかったという女性と聞きますが、恐らくそうなのでしょう。
女史の自伝的短編だけちょっと読みましたが、そんな感じです。おかん、ママ、妻というより、女塾長みたいな生活に読めました。
もし若い頃に女史の本と出会っても。「こんな女性になりたい」とは思わなかったと思います。だって、オンナ作家には、漱石や豊一郎の様な「オトコ」が必要なのなら、私には無理だと自分が中学生だったとしても分かったと思います。オンナがキラキラに生きるためには、立派なオトコが必要と言う事実が、自分は好きじゃありません。 |
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