 ■レオ・レオニの絵本を何冊か図書館で読んでみました。ちょっと昔の外国のおじさんが描いたスイミーが、日本の教育好みの「みんな一緒!!」みたいなモットーの材料にされるのに、どうも納得がいかなかったのです。
スイミーの絵本の本物を読んでみたら、スイミーから猛烈な「生きたい」という意志を感じました。他、個性的な動物たちが主人公になった絵本が多々ありましたが、みな本当に個性が暴れていました。
頑固で夢見がちな主人公達の共通の目的は、「生きる」一点だったと思います。スイミーも自分達小魚が生きるために選んだ方法が「みんなで泳ぐ」事だったのであって、結果論なのかなと思います。
日本の場合、「みんな一緒!!裏切り者には死を!!」的なノリがすなわち「生きる」事になります。強制スイミーというか、カナヅチで集団行動の出来ない魚がもしいたら、多分死にます。自分は死にたくありません。
■歳がばれるのですが、今年職場に来た新人さんが、自分と親子の年齢差でした。そもそも弟と自分が10歳近く離れていて、どうも身の回りの人達との遠近感が取りにくいのですが、この年齢差には嫌でも「おお」と思いました。
親子の差と言っても、最近の子の順応力は自分とは比べ物にならないですし、パソコンだのなんだのは勉強しない自分もよくないのですが、最早自分を「先輩だ」なんて最初から思いません。「経験」なんて語る様なものもありません。
日誌で自分の大学時代の事などよく書きますが。京都は明らかに様変わりしているでしょう。大学も伝え聞くだけで別の学校の様な気さえします。
さて氷菓ですが。
そういえばヒロインが高校生だったのを思い出しました。恐らく監督さんやスタッフの人からは、娘の様に愛されたのだろうと思います。折木は若干心が老けていますが。
「みんなみんな、アタシたちのえるちゃんが可愛くって最高でいいよねえ〜」という熱を感じます。自分はそこまでテンションが上がる前にその熱を感じたので、若干のずれを感じます。
氷菓のえるに、意図的な卑猥さを感じる時があるのですが、あくまで京アニの美麗な絵の錯覚だと思ってやり過ごしています。セーラー服って、わざとらしく胸元ががばっとしていますし、文化祭の時のえるは、「この子カワイイでしょ」オーラをまとっていました。
そりゃあ、アニメ作っている方の愛がなければ作品がいいものにならない訳で、体格は既に大人のオンナなのに、妙に子供くさいえるは「みんなの子供」だったのかもしれません。いい年してパパとお風呂入れるみたいな、いかがわしさに似たものを感じます。
何もかも、えるがそういえば高校生だった事を思うと、説明になるのかもしれません。オトコとオンナを意識して、「納屋でつまらない男と2人っきり」が皆にばれるのはイヤな癖に、「お着物の帯締めを解いちゃって、カレシと納屋でスッポンポンなんですよ〜」はOKというえる。
えるの内面は分かりません、多分いつまでも分かりません。オバサンに、両思いの相手のいる、金持ち美少女高校生の気持ちなんか分かりません。 |
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