 ■人を恨む事について。まだ若いグンマは、高松より慣れていない気がします。高松はマジックから絞れるだけ絞って、身上を蓄えた珍しい一般人です。
(マジックが高松にほどほどに無関心だったんだろう。本当にマジックが高松からの恨みを認識し、危険を感じたら、絶対に反撃の反撃が来る。高松もマジックと刺し違える気まではない)
マジックと高松ではないですが。結局、恨まれている相手が、どれくらい自分が誰かから恨まれているかなんて気にしないだろうと言う事です。人の恨みが怖くて、総帥だのガンマ団員だのは出来ないでしょう。
高松も、グンマの心痛を全部わかる事は出来ません。キンちゃんと言う高松のサポートを必要としているルーザー様の赤子がある以上、高松の本懐はそちらに向きます。
■野上弥生子の、欧米への旅を読んでいます。荷風も欧米に旅をしていますが、同じ金持ちの大名旅行なのに、かなり違う印象です。荷風の方がセンチメンタルなのかもしれません。(あめりか物語の冒頭はトラウマ)
野上弥生子は。飲んだり食ったり、遊んだりする事が本当は好きなのに、絶対言わない人の様な気がします。林芙美子や織田作のものには、飲む食べる買うなどの描写が何度も出て来て彩りになっています。
野上弥生子の場合。食べ物も安全も異性も財産も十分に有り過ぎて、いつも文章が地に足がついていない様な気がしてしまいます。気の合わない学校の先生の授業の様な感じです。(別に課題で読んでいる訳でないので、いつまでも読んでいる義務はないと今思った)
■漱石の彼岸過迄に。どうしようもない男、須永にたいし千代子が「貴方がどうしようもない事を責める気はない」「ただしどうしようもなさに胡坐をかいている事は許さない」「だいたい貴方は私を見下し、バカにしきっている」と言っています。
須永は、よくあるどうしようもない男らしく「僕はダメで〜」と言いながら、千代子に対し最善を尽くす努力もせず、ただ千代子の周囲に男の影があるとムクムクとジェラシーを燃やします。そんな須永の味方になろうとしても、千代子は手を焼くを通り越して、相手に出来なくなって、彼岸過迄は終わります。
宮本百合子は女性、漱石は男性ですが、どうしようもない男を書かせたら、漱石は未だに上位に食い込む作家だと思います。宮本百合子の伸子の佃が、丁度須永っぽいと思いました。須永も学歴(と財産)だけはキラキラしています。
佃は一言で言うと、冒頭で言われていたように偽善者です。「伸子のためなら何でもする」と口だけで言い、伸子が何々を止めてとお願いしても、「そんなつもりはない☆」と言って我を通します。「そんなつもりはなかった」が通るのなら、警察はいりません。
伸子のラストの妙に艶っぽい描写は、創作だなあと思いました。漱石ものじゃあるまいし、ダメな男は最初から最後まで、くまなくダメだと思うから、本当はもっと伸子が立ち直れないくらいダメな終わり方だったろうと思います。 |
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