madeingermany

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...... 2019年06月12日 の日記 ......
■ 日文   [ NO. 2019061201-1 ]

■司馬遼太郎の街道をゆくのラストを読んでいます。名古屋付近が舞台です。「旅の軌跡」的なページがあるのですが、見事にグンマ・トチギ・イバラキがスルーされていました。関西の方だからでしょうか。「偉大なる東北」などは書くのに。

グンマには三国街道、トチギには日光への道、イバラキも水戸までの道があります。だからなんだと言われると困るのですが、あるんです。司馬遼太郎の視界には最後まで入らなかったと思いますが、一応観光地です

(多分、北関東の繁栄は首都である江戸・東京に依存しているので、独自路線とか問われると返事できないせいかもしれない 草津・伊香保温泉がメジャーになったのも、政権が関東に移った後だとか)



■野上弥生子の文章を読む事は、しばらくないと思うのですが。どうも女史の文章の癖なのか、末尾が「〜から」で終わる文章が多い気がしました。「日本は何々だ、それは何々だから」など、事実らしき事を述べた後で、理由を後の文章で語るスタイルです。

冷厳?な女史にしては、少女っぽい書き方に読めました。「〜だったの☆」的なノリと言うか。漱石や鴎外のノリじゃないと思いました。出来れば「〜だった」などの、助動詞で終わる文章の方が好きかもしれません。

例えば彼岸過迄なら、「千代子は泣いた、市蔵を愛していたから」ではなく。「千代子は泣いた、それ程深く彼女は市蔵を愛していた」の方が、自分は好みです。あくまで好みの問題なのでしょう。助詞より助動詞の方が、変化するだけに伝わってくる気がします。漱石の助動詞の使い方が好きです。



■日文に囲まれて暮らしています。図書館で太宰フェスタをしていたので、バッジとしおりをもらって踊らないばかりに家に帰りました。日文は趣味です。

ですが国語の先生になろうとは思いませんでした。小学校、中学校という場所が好きじゃなかったせいも大きいですが、生徒がガチで教員をイジメ倒している所を、小さい頃から結構見ていました。



キレやすい先生が担任だと、生徒陣もキレやすくなるのか、「あんた達がしようもないから」と授業をボイコットした先生もいました。

明るい体育会系の先生ならまだ子供達を制御できるのかもしれませんが、地味目な女の先生が、ガチで生徒に無視され、担当の部活や授業でバカにされ切ってるところを見ました。いい大人が、コワッパ達に呼び捨てにされているのには、涙を禁じ得ませんでした。



教師と言ういわば聖職でありながら。親子ほど年の離れた赤の他人の子供達の進路だの生活だのの責任を負わされた上に、逆にいじめられて仕事にならないのでは、夢も将来も想像出来ませんでした。

太宰を読みたい時に読めるくらいの、怠惰でこじんまりとした暮らしでいいです。

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