■くどいですが、ジブリと言えば女児な事について。令和の現在でも、「(新妻に対して)絶対男児を生め 女児じゃ意味がない」的な言葉は結構飛び交っています。自分には弟がいますが、性格のキツイ父、意地の悪い祖父母が、弟には死ぬほど優しかったのをよく覚えています。
つまり生まれる前から女は、別に家族から祝福も期待もされていないかもしれないと言う事です。周囲の男をどれくらい喜ばせられるかで、女の価値は決まる事さえあります。(私は親戚連中が集まると、お酌をさせられていた もしくは弟が絶対にしない料理係)
ジブリの女児達は、天真爛漫に振る舞うファンタジー上のオヒメサマですが、魔法だのオームだの飛行石だのに囲まれているからいいのであって、リアル指向だったらしい耳をすませばの雫は、ある意味「女」(性体験の有無は問わない)ではなのかもと思いました。
近藤さんの品のある絵と、宮崎監督好みの「ゴチャっとした薄暗い町並み」が合っていない気がしました。あんな暗がりに女子中学生がいたら、痴漢に遭っても文句言えません。女の身に生まれたハンデといやらしさを知らない雫は、男児の様に見えました。
■年に4冊は新刊が出せると意気込んでいたのですが。今年は春・夏・冬の3冊になりそうです。
スパークは毎年「いつこの本書いたんだろう」と思うくらいパニックになりながら書くにしても、夏コミ・インテ・9月柴田亜美オンリー、他休日出勤等を思うと、やはり3冊かもしれません。
もし去年のスパークの時の様に、自分の本を編集者さんに見てもらえるのなら行くつもりです。一年経って向上したなんて甘い事は思いませんが、下げ止まっていやしないかくらいは希望します。
■そういえば文章の勉強を、義務教育あたりの国語の時間でしかした事がないなと思いました。またスパークで、プロの編集者さんに見てもらいたくなりました。以下、過去、学校やシティ等でもらったアドバイスです
・表現がきつすぎる 独善的 ・主観で書いている ・漱石や谷崎が好きなのは読めばわかるが、小説として面白いものが書けているのかは別の事
他、「何を言いたいのか分からない」と、書き散らしたものを読んでくれた高校の国語の先生に言われた事もあります。「鴎外の舞姫の続きを考えてみよう」的な課題だったと思います。
「文章を書く人は、文章がわいてくるんだよ」と中学校の国語の先生はおっしゃっていましたが、わく事はわくけれども、どうしたらいいか分からない、いいものにしたいのだけどという葛藤を今更思いました。
宮尾登美子や、野上弥生子と言う、女性作家のものをあえていくつか読んだのは、そのせいです。
両作家ともすごい作家さんだと思いますが。宮尾登美子の小説のヒロインが、初めは純粋な少女なのに、くどくど言いながら高確率で嬉々として不倫に走るのと。(絵画、歌舞伎、歴史等扱うテーマは多彩で情報量も多いのに、全部結局「これでアタシはいいセックスが出来ました」という流れに行きつくネタにされていた気がする)
野上女史の文章の、本人が意識していないだろう「女」の面の濃さに火傷しました。野上女史は女である前に人間であれといった人ですが、女は女である事を、赤木ナオコ博士の様に止める事が出来ません。ナオコさんの、頭脳と感情のふり幅の大きい事。
(豊一郎の悲しいまでの利用されぶりに泣けて来て、文章の勉強だの作品を味わうどころではなくなってしまった) |
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