■ジブリの猫の恩返しを見ました。スッキリしていて面白かったです。耳をすませばで、川を殺し〜と歌い出す雫からは、いいおっさんが少女の姿で振る舞っている様な恐怖を感じましたが、ハルは普通の女の子に見えました。
自然保護とか、ジブリは作品に混ぜ込みたいのだろうと思いますが、ナウシカじゃないですが、主人公の女の子達の手におえる問題じゃないから、見ていてストレスになる時があります。
ジブリは「おっさん」達が幼年だった頃の、自然の中での遊びがノスタルジーとして濃厚かもしれませんが。当時だって必ずしも自然が子供に優しかったわけでなし、ノスタルジーはノスタルジーじゃないかなと思います。雫の年齢と視野と性格で、あの歌詞は出て来ないはずです。
■漠然と考えていた事を書きます、まとまらないかもしれません。
・高松はマジックに復讐を目論んだが、形式上ルーザー様は戦死なので、ルーザー様の死は間接的にはマジックのせいだとしても、マジックは裁かれない。というか、心戦組はおろか、リキッドのパパの大統領でさえ、マジックの近親者から息子が執拗なリンチを受けていても黙ってしまうのだが。
なんというか、なんで「悪い事」をしちゃいけないのかというと。他人を傷つけたり、他人のものを盗んだりしてはならない。悪い事をしちゃいけないのは当たり前だとしても、「傷つけられたから、傷つけ返す」「盗まれたから盗み返す」とかも世間的には一応NGだったりする。
ジャイアンみたいに「お前がのび太だから殴った」「借りたものは永久に返さない」と言い張る男の場合、手に負えない。
ジャイアンの場合、親が自営業で厳しく、家計も苦しめなので、フラストレーションが身近な少年達に向くと言う事情があるそうなのだが、ジャイアンのママ・パパには彼らなりの立場と親権があるので、ジャイアンは彼等に言い返せない。
なんでジャイアンのストレスを、他人ののび太が引き受けねばならないのかと思うが、これが「傷つけられたから、(代わりに誰かを)傷つける」連鎖なのだろうと思う。暴力的なジャイアンでさえ、ママとパパにはかなわない。
殴られ、オモチャや漫画を奪われるのび太は本来どうすればいいのかと言うと。シンプルに警察に言うしかない。相手は返してといってオモチャを返す相手ではない。子供同士の事なのだから、親が出るべきなのだが、のび太のパパとママは「いじめられるアンタが悪い」という人だ。
もし法律にのっとってジャイアンとのび太を見た場合、いずれにも弁護がつく。一方的に暴力を受けるのび太が裁判に負ける可能性もある。法律、司法とはそんなものであって、強姦犯に「優しい」裁判官も存在する。「男を受け入れた貴女が悪い」と言うらしいが、男の腕力はすさまじい、殺すと言われたら本当に殺す力がある。
法律とはそんなものであって、殴られ、犯された場合でも、相手と自分は対等であって、被害者である自分は徹底的に「スカートの中に手を入れられた」等明白に説明し、立証しないとならない。ヒドイ。
全ては冤罪を防ぐための回りくどいやり方なのだが、なんで被害者の方に苦労が寄せられるのか。冤罪をするのは司法であって、巻き込まれた人ではない。
悪い事と言うか、ケチな親から自分の権利を取り戻すために手をあげたり、いやらしい男性に安全ピンを突き刺すという、いわゆる防御さえ、NGになる。全ては司法の判断を待たねば、加害者に罰は下されない。
百歩譲って司法の判断を待つとしても。家庭内や、男女間、学校の中など閉鎖的な場所だと、司法はちゃんと見てくれない場合が多い気がする。民事不介入という奴であって、日本は男の天国だと思う。 |
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