■ちょっとだけ京都市内に住んでいた事があります。今のグンマは当時の京都くらい暑い気がします。京都はGWを過ぎればもう夏が始まりますが、グンマはまだ一部では雪で、農耕に必要な雨もしっかり降ります。
瞬間的な暑さについては、京都もグンマも変わらなくなったのかもしれません。グンマでも都市部・南部、北部とで大分気候が違うので一口には言えませんが。
■PAPUWAのターニングポイント的な場面は、コミックス5巻のシンタロー・コタローの落下シーンなのかなと思います。
先日から延々書いていますが、あの時シンタローは腕を骨折しています。これくらいの怪我、かつて南国&PAPUWAで何らかの障害になった事があったかと思います。その怪我故に、シンタローはコタローを空中でキャッチして、マジックに2人とも助けてもらうという選択が出来なかったと言えそうです。
ただ。
あの落下がシンタローの願いだったのかなとも思います。コタローを父親の下に返し、自分という「余所者」抜きにして、グンマやキンタロー、ハレ、サビという一族だけで暮らしてはどうかという、シンプルなシンタローの願いだったのかなと思います。
無職で平然と暮らせるサビと、馬車馬のようになってしまうシンタローの性格・立場の差がこんな所にも出来るのかなと思います。鏡を見れば、明らかに自分が一族である事と思わざるを得ないグンマ・キンちゃんとは違う悩みかもしれません。
あみちゃんのマンガは、キャラをそんなに美化しないところがいい点なんだと思います。ただしあみちゃんが意図的にやったのかは分かりません。すずめちゃんの秀樹の必死ぶりとか、明らかにバカにする感じで描いたかもと思いますし、カミヨミの菊理の描写も、サラッとしているから泣けるんだと思います。
リキッドみたいに、ギチギチに書くとあんまりキャラが生きないのかもしれません。シンタローにせよ、リキッドにせよ、親や周囲から溺愛されてきたキャラです。自分達の使命的なものはあれど、コタローの様に、無ないしマイナスから自分を見直す事はもう彼等にはないだろうと思います。
コタローが自分の悩み的なものを、急スピードで自己解決していったのには、あみちゃんのマンガによくあるパターンとはいえ、泣けました。でも主人公だったコタがセルフ救済してしまうと、家族一同の役目って薄くなります。コタに必要だったのは、家族以外からの優しさだったのかもしれません。
(グンマやシンタローだと、自分のユメ・ネガイ的なものを、よかれとガツガツコタにぶつけしまいそうな気がする。ちょっと重い)
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