■何となく裏切られたような気になった事の一つに。漱石の坊ちゃんが、意外とエリートである事があります。語り口に惑わされて、気がつけない点です。
漱石自身も超知的エリートです。他、小説の登場人物達はほぼ帝大卒です。明暗においてやっと小林が出て来ますが、完結していない事もあって、小林が出てきた理由はいまいち分かりません。
夢中になって小説を読んで。自分も一緒に彼等と悩んでいる様な気になるのは、感情面の健康さを保つのにはいいですが、別に坊ちゃんも一郎も、私に心配されるまでもない男達です。漱石自身は言わずもがなです。
■白痴を読んでいます。イッポリートの長い独白が終わりました。まだまだ白痴は続きます。
白痴と言えばナスターシャです。彼女を見ていると、漱石の虞美人草の藤尾を思い出します。藤尾はいい家のお嬢様ですが、屈折しているというか、普通の恋愛や結婚を嫌っているふうがありました。ナスターシャを謎と言うよりも、藤尾の方が謎です。
虞美人草の謎の女と言えば、藤尾の母ですが。彼女の方は、「気に入った家族と、安楽な、気を使わない暮らしがしたい」という、ごくありふれた事を願ってるだけに思えます。謎でもなんでもありません。
謎なのは公爵の様に思います。ほぼ初対面のナスターシャについて、即、憐れみを感じています。派手で美人で、金持ちでセンスのいい彼女を、嫌ったり、いいなあと思ったりする事はあろうかと思いますが、即憐れみとはどういう事なのでしょう。
ナスターシャの威勢の良さは、虚構なのだと公爵が早く段階で見抜いたとしても。何がどうナスターシャをああも狂わせるのかまでは、早々分からないはずです。
または。罪と罰でもありましたが、「女性が男に苦しめられる」事が、公爵にさえ分かるくらい、ロシアにあふれていたという事でしょうか。スイスでも公爵は、どん底にいる女性を憐れんでいましたが、その憐れみはナスターシャへのものと同じでしょうか。
もしかしたら、同じに近い感情だったのかもしれません。スイスの女性に対しても、好意や恋愛じゃなかったと、珍しく公爵はハッキリ言っています。
憐れみなんて、ナスターシャや藤尾が最も嫌うものだと思いますが、どうでしょう。宗近君は藤尾のアイデンティティだった懐中時計を粉砕しました。藤尾の夢も誇りも頼みにするものも粉々にした宗近君の方が、余程どうかしています。
初期の漱石にはそんなキャラが多いです。ドストエフスキーの小説は、やたら長い分、ある程度までキャラの弁明、名誉挽回等のチャンスがあるのかもしれません。 |
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