■昨晩平日分の疲労がドッと来て、白痴の読み残し分を読んだら寝てしまいました。まさか11時間寝るとは思わず、今日明日は頑張ります。白痴は公爵がナスターシャの頭や頬を撫でる所、ついでにロゴージンの顔だのも撫でる場面にグッときました。
そんなどうでもいい行為で、ナスターシャやロゴージンが浮かばれるとは思えません。ただ聖なる行為だとかいうのは、そういう「いらん」行為に似ているのかもしれません。
ただもうナスターシャは躯になっていて、ロゴージンも熱病ののち、シベリアに送られています。漱石のそれからみたいなエンドでした。(それからの代助もよく寝る男。既婚になった三千代とのままごとみたいな密会は、その後の漱石ものにはない、みずみずしさ)
■原稿が終わったら
・5月コミケの準備をする ・銀牙のジョン銀の小説を書く ・温泉に行く ・響け!を最後まで見る ・本を読む
大体いつもしている事と同じです。原稿は特別な事じゃないとも思います。ただ描かないと何かがまとまらないのです。
響け!はリアルな学生達への応援歌なのか。青春から遠のいてしまった人への挽歌なのか。どちらでもいいと思いますが、あの六地蔵付近の絵を見ると、もっと心穏やかでいられるはずだったのにと思います。
■ドストエフスキーの白痴を読み終えました。公爵の純粋さはよく分かりましたが、周囲を感化という事もなく、ナスターシャとアグラーヤを地獄に落としただけだったのかなと思います。
公爵自身も、自分の純粋さとか高潔さみたいなものに操られる様に、自滅していきます。彼には帰る場所も、待っていた先生もいますが、大体の人にはスイスの療養所も、親身な先生も、ましてや莫大な財産もないので、白痴でもそれを発揮することなく、生きざるを得ないのでしょう。
白痴ぶりを限界まで演じた公爵は、ある意味幸福だったのかもしれません、なんてことは思いません。ナスターシャの死、アグラーヤとの別れを味わった公爵は苦痛だったと思います。
しかし死を選ぶほど傷ついていたナスターシャ、自滅的な結婚を選んだアグラーヤも、苦しかったのでしょう。この小説には春が来ません。永遠に夏のボンヤリした息苦しさのなか、幕が下ります。ガーニャみたいな普通の人は、段々出番が減るので、公爵やロゴージンの末路だけが目に入ります。
ドストエフスキーは短編でも十分面白いです。白痴も、ナスターシャの部分だけ取りだせば短編になると思います。訳者の亀山先生は、ナスターシャは「処女だった」と言われますが、彼女の裕福な暮らしぶりは高級娼婦故のものでしょう。
だからアグラーヤやエパンチン夫妻は彼女を毛嫌いします。真っ当な家の敷居をまたがせたくないのです。ナスターシャの清潔さをうたうのは公爵の勝手ですが、日本の落語の様に「年季明け」というもののない彼女の身柄なので、彼女が言うようにケッコンなんてチャンチャラオカシイのが本当なのでは。 |
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