■金曜の夜の忘年会の後、同じホテル内の温泉に入って来ました。飲酒してなかったので、幹事さんの了承があれば全然入浴できるなと思いました。ついでに宿泊できたらと思うくらいいいホテルなので、また行けたらと思います。
酒の席は苦手です。今は無理に飲ませられる事もなく、有難いです。なんで「体質的に飲めない」「好きじゃない」と弁明しても、「飲めば慣れる」「飲んでみないからだ」と言う人がいたのか謎です。
■赤毛のアンを読んでいます。アンは赤毛を気にしていますが、メアリと魔法の花のメアリも気にしていたなと思い出しました 以下雑感です
・アンの両親は教員で、とても貧しかったと書いてある。両親とも生家と離れてしまっていて、孤児になったアンを誰も進んで世話しなかったとある。
この貧しさについて。小公女や秘密の花園ではないけれど、イギリスの孤児とはずいぶん「金持ち」が多いのだと思う。アンの舞台はカナダだけど、イギリスの一部みたいなものだから仲間か。
冒頭のアンは、大人に愛されないなど、自分自身の悲しみなどはあるけれど、洗うがごとくな貧乏ぶりには思えない。古い服を着て、学校に行っていなかった等あるけど、リアリティがない。日本で戦前の孤児の女の子なら、「字が読めない」あたりから描写されそう。
セーラと並ぶような、小奇麗な「かわいそうぶり」に思える。舞台が英国連邦だからそう思えてしまうのか。否、そういう苦しさ、貧しさを生来のガッツで乗り越えるのがアンなので、いちいちバカな読み方をしてはならない。どうせすぐにギルバートと滅茶苦茶甘々なカップルになって〜とか思ってはいけない 児童文学なのだから、キツイ描写は絶対にない
日本で孤児で、他家にやってくるとなれば。多分、おしんだと思う。おしんは孤児ではないけれど、日本において親の愛なんて、今も昔もあってないものだと思う。なのに血縁、身内を重視し、他人に冷酷なのが日本
アンにはマリラとマシュウがいる。彼女の独特な性格をマシュウが気に入った事が、赤毛のアンの発端だけど、児童文学だからこのノリなのか、カナダの農家は皆豊かなのか。日本の戦前の農家は、こんなだったろうか。
(例がよくないが、手塚治虫の奇子の家はいわゆる庄屋さんだったと思う 日本の小作人の生活の酷さはあのマンガの感じだと思う 手塚治虫の漫画は苦手だけど、田舎を美化していないという点でいいと思う) |
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