■若い高松とメイド服についての妄想です。
・本来メイド服は労働着じゃないかと思う。カワイイからミニでもロングでも、フレアたっぷりでもいいのだが、本当のメイドさんがいた時代、金持ちの奥様お嬢様は、したがらない格好だったのではと思う。
黒執事ではメイリン、ポーラがメイド服。だが、カワイイもの好きのリジーはメイドさん服に食指を動かさないと思う。ご主人様サイドの人間だから。
・中流以上の家庭の、家庭内労働者それがメイドさん。高松(中高生くらい)はそんなジェンダーを越えたチャレンジをしなくても、若い医者として青の一族と堂々と交際していいはず。医者も中流以上の身分であると言っていい。
が。高松はそういう紳士的な付き合いを青の一族としたいのではなくて、孤児同然の赤ちゃんだったグンマ様を、ミルク・おしめの世話までしたい人。なら、医者としておすましして青の一族の側にいるのはイヤ。家事労働しますから、お家に置いてください→メイドさん高松爆誕
ハレに目を覚ませと言われてごねて。一時間後くらいに帰宅したルーザー様に、「その恰好じゃ学会に連れていけないね」と言われて、いそいそと白衣に着替える高松(中高生くらい)
■読んでいる本に偏りがあるのかもしれませんが。日本で戦前で孤児、女の子と言えば、花街に売られるケースを思い出しました。
映画、小説のさゆりもそうでしたが、父母が貧しいと、女の子は花街へ売られるというのをよく読みました。その女の子が美少女かどうかは、問題じゃなかったのではと思います。漱石の頃も東北が大飢饉で、娘達が売られていたと聞きます。
日本だと、ブラジルに移民船が向かったとかの時代です。貧困も貧困の時代です。女性に参政権がなかったのは日本もカナダも同じですが、アンが花街に売られる事はなかった様です。
花街があったのは日本だけだったのか。カナダには、日本の芸者さんに相当する女性達がいなかったのか。よく分かりません。日本でも貧困ゆえに花街に行くのか、または女中さんになる道もあったかもしれませんが、どちらにせよ全然嬉しくない道だったでしょう。
こんなこと考えていて、赤毛のアンが楽しめるはずありません。そもそも、アンとギルバートが同じ教室で勉強している事自体、?と思いました。自分の中の1908年は、三四郎の頃です。
地位と財産のある美禰子でさえ、「女の癖に」と言われています。女性が大学にいけるはずありません。女が勉強熱心なのは不器量で嫁にけないからだと、平気で言われた時代です。アンとは?当時のカナダとは?と混乱しています。 |
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