■ピアノの森。最初はヒカ碁みたいなノリなのかなと思いました。修平がアキラで、カイがヒカルみたいなポジションなのかなと。佐為が阿字野先生。ちょっと違いました。
カイにはライバル的なキャラがいませんでした。自分の演奏をして、皆に聞いてもらうのが全てです。ナチュラルでいいなあと思う反面、誰が最終的にカイの隣にいるのか?とちょっと気にしていました。カイは中性的な容姿、性格もニュートラルな所がある気がします。
こんな美味しいエンドなら、もう少しカイはぶっちゃけてもよかったんだよと思いながら、多分阿字野先生は死亡フラグ、退場フラグ、引退フラグと嵐の中にいたんじゃないかなと思います。カイの恋愛、カイの友情のお話で盛り上げなさいという指示もあったんじゃないかなと勝手に思っています。今のピアノの森でよかったです。
■ピアノの森をがばっと読みたくなった切っ掛けの一つが、好みのイケメンだったアダムスキだったのは内緒です。他、パン君もいいと思ったとか書けば、どんだけ面食いだろうと思われる事かと思います。
ピアノの森の場合、カイ、パン君、アダムスキ、と美青年でも名高いキャラの方が、出自が悲惨なのかなと思います。努力・運に加え、キレイな顔の方が生き残れたと言うのはあるのかもしれません。
修平とか誉子ちゃんとか、金持ちが普通のピアノの森の世界です。誉子ちゃんはカイの出身を知らないままでしょう。自分がお金持ちだと、周囲も金持ちだと思うのでしょうか。(金持ち・高学歴同士のネットワークはすごいと言う 群馬も高崎高校は独特)
■アニメや漫画のいい所は。出自も性別も何も関係なしに、トリップ出来る所だと、ピアノの森を読んで改めて思いました。
オタクがよく受けるかもしれない「指摘(アドバイス?)」は、「そんな二次元に執着して、本当の異性に向かいなさいよ 現実を見なさい」などかなと思いますが。多分、二次元とリアルは全くの別物です。
アニメや漫画を見て楽しむ感性と、自分そのものというのは、いくらかは関係あるのかもしれませんが、多分どこかでブッツリ切れています。切れているからいいのだろうと思います。
運動音痴でもフリー!を楽しめて、音楽がらみでろくな思い出のない竹淵でも、響け!やピアノの森を楽しむ事が出来ます。それいいじゃないかと思います。今から運動好きになる事はないし、楽器も音楽もダメなのは治りません。
ふと、「もし自分の小学校に阿字野先生がいても、楽器がダメな自分は、先生に嫌われるだけだ」と先日思い、次の瞬間「あ、これ考えなくていいやつだ」と思いました。
天才のカイになったつもりでもいい、努力の人のパン君になったつもりでもいい、雨宮パパ、佐賀先生、ジャン爺の気分で阿字野先生を思っていいんです。レイちゃんの気分でいたって全然ありだと思います。
楽しむ事が大切で、短い人生、楽しめる事のいかに少ない事かと思います。ありがとうピアノの森。 |
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