■ピアノの森を読んでいます。大部分の舞台がワルシャワの様です。カイが渡欧したのは16歳の時なので、小学生〜高校生あたりの描写が、少ない気がします。
舞台がワルシャワでも、回想で子供の時のカイや亜理紗の描写があります。そっか〜、阿字野先生とカイ達で海へ〜という美味しい描写ですが、具体的ではありません。全てカイのレッスンのためです。
ピアノの漫画なのでそうなるのですが、海に行ったことのないというレイちゃんも、一緒に海に行ったのかなと思いました。カイも亜理紗も海は初めてだったはずですが、何よりレイちゃんももし行っていたら初めてです。喜んだでしょう。
日常的な描写は、もしかしたら描いていないだけで、ピアノの森には無限にあるのだろうと思います。カイの阿字野への弟子入り〜マリアまで、話がぶっ飛んでいる上に、カイの内面的な部分の描写がピアノ関係以外は淡白です。
結局森の端とは何だったのか。経済力のないレイちゃんが、抜け出せなかった苦界だとしても、合法的な場所ではありませんでした。
よく分かりませんが、カイの足枷がたまたま森の端だったというだけで、フツウの家、フツウの学校、フツウの町にも、足枷は転がっていると思います。そこから逃げるには、世界へ行くくらいの気合と努力が必要なのは、よく分かります。合法的な「苦界」も沢山あります。
■忘れたいことだらけで、温泉に行きました。温泉等でいい気分になった時は、「整った」と言うそうですが、自分は無になる感じを味わいたいです。
温泉で無になると、本当に頭がくらくらするのでまずいのですが。冷えて動きの鈍った血管が、温められて動きだし、物事を考える方に血が行かず、ひたすら体を駆け巡るので、温泉に入っている時に考え事は出来ません。
温泉から出た後も、血が勢いよく動いて体が疲れ、あんまり考え事が出来ません。昔の作家さんがよく温泉にこもっていたのは、執筆以外の事を考えられなくなる環境だからかなと思います。
さて私は結構忘れられたのかなと思います。女はイヤな事を忘れない生き物だと言いますが、普段は思い出したくない事をしまう技術が必要だろうと思います。 |
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