■温泉に行きたくて、叫んでしまいそうです。家で長湯すると眠くなり、湯船で多分寝ています。これは危険極まりないそうで、半分死んでいるようなものだそうです。
自分は時間の都合で食後すぐお風呂に入るのですが、ただでさえ胃腸に血液が集まっているのに、さらにお風呂で脳に血液が行きにくくなっているのだから、相当まずい時間です。
温泉に行けばなおまずいということになりそうですが、日常では「風呂でくらいしか休めない」事実がイヤなのであって、寝ても起きても楽しい事しかない温泉旅館の中では、自分は無理しない気がします。
何事も無理しては面白くありません。でも無理しないと、自分は何もできません。ケアレスミスの多い人間なので、気を張っていないとまずいことが多いです。私に誰も、「フツウでいいじゃない〜」とか言わないでください。フツウが出来なくて、この年まで悩んでいます。
■アンシリーズ7冊目、炉辺荘のアンを読んでいます。正確にはアンの娘リラの方が、先に書かれたそうで、唐突にアンとギルバートの息子・娘達が大勢出てきても、特に紹介されないのは、そのせいだそうです。
以下雑感です。
・アンと言えば、聡明さとロマンチック大好きな、アンビバレンツだったと思う。赤毛のアンの頃の、いちいち世の中を疑ってかかるところと、自分の妄想は死んでも離さない強情さは印象深い
ギルバートとの婚約ありきで、教員生活をしていた頃も、面白かった。周囲は「エンゲージしている」という安心感か、アンを裁定者としてみなし、アンは中立の立場のまま、思うさま空想の世界にいられた。現実的な事と言えば、幾何の事くらいだった。
さてアンが主婦になり、最初の子供を失ってしまうところから、第2子を授かるところまでは、まだロマンチックだったと思う。コウノトリ出てきたし
6人の子持ちになって、与謝野晶子ではないのだから、もうロマンチックなことは言っていられないだろうと思いきや、意外とロマンチック好きな部分も残っているらしい。ただダイアナや級友達はもう主婦なので、空想を共有できる相手が激変した。
ギルバートは忙しいし、前の巻の様に「常識人を気取る奥様達をあしらい、後で屋根裏部屋で思うさま空想を楽しんで寝る」みたいなのは、主婦のアンには無理 なら、主婦エッセイみたいな内容になるのかと言えば、それも無理 だってアンシリーズだから
アンシリーズと言えば。葡萄酒を飲んで苦しんだのがダイアナであるように、あくまで苦しむのはアンの周辺の人物であり、アンは優しさと聡明さと機転で、物語を彩色していく役だった。そんな自由なアンと、主婦のアンと、両立できるのだろうか |
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