madeingermany

[PREV] [NEXT]
...... 2020年02月18日 の日記 ......
■ 萌え   [ NO. 2020021801-1 ]

■炉辺荘のアンを読んでいます。今までの巻と調子が違います。夢の家のアンは、もう少しロマンチックだったと思います。結婚、出産等リアルな事を話題にしていても、前の巻までのような潤いがありました。

アン自身は中年になり、口で言うほど夢見る乙女でいられないのは分かります。なら彼女が自身の子供達の「ファンタジー」の守りてなのかというと、そんなことはありません。いい意味でアンは理想的な母親です。



アンがどんどんフツウの人になっていきます。アンと言えば、かつてはギルバートをライバルにして、覇王のごとき女サムライでした。あの飢えた感じは、6人の母になったアンにはありません。幸せならそれでいいじゃないと思います。彼女の長かった中2部分が、消えていくのを感じます。

(あんだけ学問に邁進して、何故専業主婦なの?という疑問。なぜ6人もの子供がいるの?という疑問。アンがほとんど漱石と同世代だと思えば疑問は氷解する。ギルバートが与謝野鉄幹のような、妻イジメな男でないのは幸いというべき。

妊娠&子育てしながら、夫のセックスに応じながら、夫の浮気に悩みながら、かつ日文に残るような短歌をひねり出して稼ぎ続けるのは、尋常の事じゃないし)



■アニメ・マンガ好きを自覚した中1の頃。オタクだ、根暗だ、男できないよ、気持ち悪い、俺の好きな椎名へきるを竹渕が知っている不愉快で死にたい等(クラスの男子から)、散々言われましたが。

(椎名へきるさんはアニメや歌で有名だったし、激はまりしたレイアースのヒロインの声なので、知っていて当然だった。クラスのへきるファンの生死は私の知ったことではない。そういう「好き」を心の内側にしまっておける器用さが当時から竹渕にないのは、若干問題だったかも)



ピアノの森を読むと、何故私が「好き」にこだわるのか分かった気がしました。阿字野もカイも誉子も、自分の「好き」の前でないとピアノが弾けません。弾けるのだとは思いますが、「婚約者と母」「森とみんな」「ウェンディ」と、名演と「好き」はつながっています。

いやいや竹渕はピアニストじゃないし、フツウに生きていればいいじゃないと人は言うかもしれませんが。ピアノが弾けなくなった阿字野・カイ・誉子のごとく、結構「好き」と自分が離れてしまうと辛くなります。ただ辛いんじゃなくて、息が出来なくなります。



だから、何らかの理由で「好き」と自分が離れそうになると、他人には分かりにくい怒りとアクションに出るのだろうと思います。私の母は肌が丈夫で、硫黄泉が平気ですが私はアウトです。祖母も肌や汗腺が尋常で、肌荒れと汗に生涯悩む私とは相容れませんでした。

「これがないと死んじゃうんだよ!!」というものがいくつもあるのに、子供の頃は「それ」がなくとも平気な人の手で奪われそうになりました。大好きな「それ」を自分で確保するか、「それ」をゴミ扱いする人と戦うか、答えは明白でした。

...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: