■ふと思ったのですが。漱石の夢十夜も、性的なファクターにあふれているとか言います。自分は心理学には疎いので、これこれは性的なイメージであると言われてもピンときません。
漱石の場合、奥さんの自宅出産シーンとか、女性達のヒステリーの話とか、書く時は驚くくらい露骨に書きます。でも漱石で一番エロいと思うのは、こころの先生です。先生がKを回想する時のツヤツヤ感は、高校の授業で扱っちゃだめだと思いました。
国語と言うと。光源氏の強姦好きや、舞姫のえげつなさなどを赤裸々に少女達に読ませるなあと思います。大体名作、読み継がれる作品は男尊女卑のクリスタルみたいなものです。いっそ荷風を教室でみんなで読んだら(駄目だなあ、買春描写しかない)
つらつら思うと。
竹渕が「(例えば)有馬温泉に行ってきました」と誰かに話したくなっても。話したが最後、無茶苦茶に性的ファクターに結び付けられる事もありそうです。
温泉地と言えば。コンパニオンさん、芸者衆、ストリップ劇場、休息所、混浴OKな風呂、充実したベッドルーム、新婚さんのメッカ、子宝に恵まれる効能あり、など十分性的な要素にあふれています
子宝に恵まれるとは、温泉によるストレスの緩和等を指す事プラス。直に「なかなか妊娠しにくい女性を、「本当に妊娠させる」のが仕事のプロ男性がいた」とまで聞きます 嘘か本当かわかりませんが それくらい昔の女性が「性」に全生活をかけていたのかなと思います
(実際、「法事等の宴席に親類の少女を呼びつけて、無理にでもお酌をさせるオッサン」はいる。どんな幼女でも男の欲求に従わないと飯にありつけないという教育を受ける)
そういうのが不得手だから、私は本当に好きなことなら一人でも気にしない派です。でも温泉や旅行、電車についてウッカリ誰かに話して、「ヤダ竹渕さん、アタシならそんなこと一人でしたら死んじゃう」という顔をされるのも好きじゃないので、黙っていようと思います
(もう無難に「暇なときは読書してます」というのがいいと思うけど。今読んでいるドストも、そうとうパンクでファンキーだと思うんだが) |
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