■薄々思っていたのですが。モンゴメリのエミリーシリーズは、アンの世界よりかなりえぐいです。
モンゴメリのアンが出てこない短編は結構シニカルなので、「まさかな」と思っていたのですが、アンは相当モンゴメリが無理して書いていて、とっても余所行きのモンゴメリだったのではと思います。
(アンについても周到に舞台設定、ギルバートを王子様チックに書く努力等を惜しんでいないので、裏面が出ていないだけなのかなと思う。文のテンポも明るいし)
■意外に、菊さんはひどい奴なのかもと思います。多分、画家が女性を素っ裸にして絵を描く様に、菊さんも、たくさんの女性を泣かせ、笑わせ、恨ませて、自分の芸の肥やしにしたのでしょう。無意識でも、菊さんは怖い人です。菊さんの「奔放さ」がまるまる、菊さんの落語に染み込んでいる怖さ。
生家の芸事、先代八雲や周囲の大人達の落語、助六の事、みんな菊さんの落語に生きているなと思います。小夏の事も、逆に彼女と言う「鏡」があるから、菊さんはいつまでもキレイなんだろうと思います。
それにしても。落語心中は物語冒頭からいろんなキャラが出てくるように見えて、全員で助六×師匠をヨイショしているような空気がある気がします。どんなキャラも、助六だけに関わるキャラ、師匠だけに関わるキャラと言うのはいません。
■みよ吉雑感です。見当違いな事も書くかもしれません。みよ吉が菊さん・助六の関係に押し入ってくる前の落語心中が好きです。
・みよ吉は、男を支えるとか言いながら、「菊さんと落語」を否定、拒絶し、助六から落語を奪っている。彼女のしたいことを考える。
助六をあやし、耳掃除して膝枕もする菊さんに、ジェラシーどころか悪魔のような顔になるみよ吉。成熟した女性と言う感じではない。みよ吉は「噛分けた」女性なんかじゃないと思う。
男が〜、女が〜とみよ吉は言うが。それは、おそらく少女時代に田舎で人身売買に遭い、売主はもちろん両親だったろうみよ吉の「経験」なだけであって、みよ吉の思いは違う所にあると思う。女児のまま「女」になり、体は成熟しても心は幼女なのかと。
「菊さんと落語」を拒絶し、助六を徹底的に「ダメ」にした彼女は、まるで「仕事と言って出て行った親を恨む」子供の様だ。仕事とアタシどっちが大事なのとかいう、甘ったるい思いではなく、「親がいないと子供は死んじゃうのに、親が仕事だといって自分から去っていく」恐怖と怒りだと思う。
そんな未成熟な人を、請け負う事なんかできない菊さん。菊さんの前では、みよ吉は殊勝ぶるので、なおの事話が絡まる。菊さんの前で、よかれと思っても「ウソ」「お芝居」が出来るみよ吉に、菊さんの心は動かない。だって菊さんも「演じる」人なのだから。
みよ吉と同じくらい、ある意味ピュアな助六は、文字通り地獄まで彼女と一緒。 |
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