 ■かくしごとのアニメを見ています。先生はどうして下ネタ漫画家である事を恥じ入るのに、下ネタマンガを描くのか。コロコロ的な下ネタ、子供が喜びそう、確実に読まれる漫画を求めていたら、下ネタマンガになり、需給のバランスで「描くしかない」自分を責めているのか。
ちゃんと劇中に先生のファン、作品のファンもたくさんいるようです。悪意のある下ネタではないだろう事は、分かります。先生、自信もって下さいとアシさんと一緒に自分も言いたくなります。
下ネタマンガ家であることで、回復できないくらいのダメージを負った事があるのか。奥さんの父親の事なら、むしろ「(下ネタマンガ家でも)堂々としていろ」と言いそうなのですが。
絶望先生の時もそうでしたが、「社会的な一般論」を「自分自身」に結び付けがちなんだなと。久米田漫画の全てがそこにあるような気がしますが、かくしごとの場合、先生が真面目なだけに見ていてこっちが辛いです。
■時間があると、グンマと高松ってなんだろうなと考えます。この問いは南国を読んだ昔からあって、純粋にグンマが可愛いんだろうな〜と思ってアニメを見ていた、リアルタイムの頃が懐かしいです。
南国のアニメになった部分が、ファイナルアンサーでいいんじゃないかと思います。ちょっとすねていた御曹司のシンタローが、ちょっと旅行して、出先で不思議な男の子に出会って・・・・というノリで。
あんまりそうじゃなかったという、しかもどう考えてもまとまっていない、未来に課題をぶん投げてしまった南国後半。及びPAPUWA。自分はキンちゃんとルーザー様を軸にして高松をとらえると、非常にスッキリします。
高松は、キンちゃんとルーザー様の事しか考えていません。シンタロー=キンタローをマジックに育てさせたのは、キンちゃんの保護を思っての事でしょう。
高松は。東海道新幹線のぞみに、とまらない駅が余りに多いように。東北新幹線がほとんど中間駅にとまらない様に、そして阪急京都線がほぼ梅田の事しか考えていない様に。多分、キンちゃんとルーザー様の事しか考えていません、伊達にマッドと呼ばれない男です。
高松とグンマを思う時。どうにかして、あったかい感じにまとめようとするのですが。例えようにも
・父母?・・・親が子供に様付けしないのでは
・兄弟?・・・他人行儀過ぎる
・親戚?・・・高松は本当の身内には多分冷たい
・仲間?・・・グンマにそういう概念が育っていない
・友達?・・・上下関係があり過ぎる
・教師と子供?・・グンマは成人済
・主人と使用人?・・高松はグンマの命令を聞かないと思う
・恋人同士?・・高松は愛する人を変えない
高松とグンマは
「過去の痴情のもつれで、恩人を失った男が、敵討ちのためにカタキの息子と自分の息子を誘拐・交換し、その罪がばれないように、カタキの息子を大袈裟に大事に育て、その後誘拐の罪がばれ、現在雲隠れ中」
なのかなと思います。犯罪者と、犯罪者が犯罪(誘拐)をすることになった原因を作った男の子供。「この子は悪くないんだけどなあ」と四六時中ニコニコしている犯罪者。
一時間くらい考えると、高松とグンマは、誘拐犯と誘拐された男の子だなという結論になります。「ここがボクのお家だよ〜」とか嘘を言い続ける誘拐犯。コナン君とか、ホームズに一刀両断してもらわないとならなそうです。 |
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