 ■孔明のヨメを読んでいます。11巻進んでも、舞台はまだ荊州です。すごいと言うか、特にだれている感じもありません。こんなに徐君が活躍する・出てくるマンガは初めて見ました。徐君大好き。
徐君と言うと。かなり後で孔明が、徐庶のそんなに出世していない事を知って、「魏には人材が多い」と言うお話があります。徐君、劉備に従っていれば出世できたわけですが、彼は来ませんでした。
何で来ないのさ徐君と言うより。荊州に曹操が南下してきて、皆曹操一色になろうと言う中、呉と組んだり、益州まで行って国を作ろうとする孔明達の方が、アドベンチャーなんだろうと思います。
赤壁で曹操に対して反抗を見せた周瑜達には、基盤も実力もあったでしょう。劉備には何もなかったはずで、その劉備に従うと言う事は、ある意味尋常ではありません。
当時の中国の人達は、何より血縁や地縁で動いていました。有能な人を集めようという曹操的な動きもありましたが、その曹操でも若い頃は評判を気にしていました。いくら劉備にそういう地縁血縁が少なかったとしても、あまりに気軽・身軽です。
人徳〜、正義〜という看板を外してみると、実に劉備や孔明達のしていることは分かりにくいです。天下三分の計とは言いますが、曹操に対峙することを決めてしまった時点で争いは終わりません。劉備達と孫呉の協力あっての天下三分なのに、呉に攻め入る劉備。
元直さんが正しかったのだと、ちょっとだけ思います。
■昔、三国志は極めると呉に転ぶと聞いたことがあります。確かに、
魏→三国志と言うか、もう明らかに魏が正統王朝。呉も蜀も完敗と言っていいし、そもそも魏は呉も蜀も相手にしていない
演義等だとあまり触れられないが、九品官人法、屯田など、いわゆるこの時代からの「常識」を作ったのが魏。普通に中国史としてこの時代に注目するなら、魏。唐代より前は曹植達が詩聖だったとか言うし
蜀→劉備・劉禅のたった二代しかない小さな国。
成都を中心とした、地元民によるミニ国家というのならまだいい訳もあるけれど、劉備やホウ統孔明と言う、明らかによそ者がやってきて皇帝を名乗った面倒臭い国とも言える
ミニ国家じゃありません、漢ですと主張していたところに悲しさを覚える。もう蜀をどうとらえたらいいのか、演義等で脚色されまくっていて分からなくなった。
そして三国志と言いつつ、三国志の面白い部分は大体後漢末の部分だったりする。便宜上、魏、呉、蜀というが、少なくても曹操が生前のうちは「後漢」
呉が全くの平和だったとか、いい政治だったとかは言いませんが。一種のむなしさを覚えるには、長い治世だったと思います。魏と蜀が滅んでも、呉は残っていましたし |
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