■以下雑感です。よくない話です。
・どうも令和も二年だというのに、明治および戦前あたりの世の亡霊みたいなのが世間に漂っている気がする。細雪の頃の世界はファンタジーではなく、随所に日本にある気がする。
いやいやそんなことはない。伝書バトは電報、電話になり、ファックス、メール、他通信手段も格段に向上したし。今、東京と大阪を徒歩で移動する人はあまりいない。
と言いたいのだけど、どうも人間となるとあまり変わらない気がした。
・2020年くらいのご高齢者(仮に80歳とする)は、1960年くらいに成人し、その辺で社会的な価値観や、男女観、結婚観、等を形成していると思う。
社会的な様相、新幹線が新青森から鹿児島中央まで走っても、人間の考える事は変わらないなら。1960年代の「考え方」が、2020年でも生き延びていることになる。「女性は男に劣る」など。
今のご高齢者(仮に80歳くらい)は、自分の価値観、男女観等をシッカリ自分の子女に伝えていると思う。
仮にすごく嫌な価値観(女は結婚して子供を生まないと無価値、子供は親の所有物である、など)だったとしても、ビシバシ上の世代から体に叩きこまれた価値観は手放せない。何故なら、「そんな嫌な価値観に振りまわされた自分がいけなかった」なんて思いたくないから。
そんなきつめの価値観も、しっかり生き残る。さんざんしごかれて、イヤな目を見て来た人は、自分の周囲、特に若い・幼い子達を同じ目に遭わせようとする(体罰、いじめ、虐待、他)。
仮に嫌な価値観のスタートが明治政府からだったとしても、「自分はこんな嫌な目に上の世代から遭わせられた」「自分の苦しみ、辛さは無駄じゃない」「だって次世代を巻き込めるから」と、お先真っ暗なファクターが、明治大正昭和戦前、戦後平成令和と、ビッチリ繋がれる。
もう誰かがどこかで負の連鎖を断ち切るしか。つまり「私の育った価値観は誤っていた」「もっと幸せになれる方法があったはずだ」と思えればいいと思う。
難しいだろうと思う。80歳の人の中には、60年くらい前の価値観が生きていて、70歳、60歳、50歳、と若い世代を考えてみても、自分が「こうあるべきだ」と暴力的なまでに教え込まれたものを捨てられないだろう。または捨てたくても、状況が許さなかったり、そもそも「子供は親の所有物」みたいな価値観のヤバさに気が付かないと思う。
自分もそろそろ40歳なのだけど。2020年向けの価値観になっているのかと思うと、相当怪しい。頭の中はまだ2000年前後のような気がする。エヴァはリアルタイムだったし、ウテナもリアルタイムで見ていた。
今じゃ、宇多田ヒカルの歌の歌詞「七回目のベルで〜」は訳注がないと分かってもらえないと言う。
校内の公衆電話で女子中学生がテレクラにかけて、先生に学校集会で怒られたもんだったが(竹渕も部活のメンバーがかけると言い出し、イヤだと言えばいじめられると思って、公衆電話に群がった バカだったなあ) |
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