 ■そろそろ不惑なのですが、とりあえず惑するだけ惑して、四十路になろうと思います。以下、大体愚痴です。
・お給料をもらうと明細ももらえるのですが。
「自分の将来のためや、ガンなど不測の事態のための保険他」「税金」「なんとか料」等でゴッソリ減って入金されます。コミケ等があった頃は、印刷代、遠征代等も考えて手元に残しました。
一応全部自分で考えて納得して。「この税金を払うのもやむを得ないのだ」と思って明細を仕舞います。もし私に年間600万収入があるとしても、ソックリもらえる事はありません。40歳になったら介護保険料も始まるので、今がある意味手取りの最大値なのかもしれません。
まさか世の中に、生まれだけで特に労働しなくても、600万もらえて、所得税等も払わない人がいるのなら。(それからの代助みたいな人だが、代助の場合、お金をくれる親には「投資」にあたるのでタダではない)
貴族って今の世にもあるんだなあと思います。(戦前の華族はもともと大金持ちだったりする。あと貴族って、貴族同士でしか基本的に婚姻しないので、貴族たるものが維持できるらしい。ビクトリア時代のものを読むとそんな感じ。貴族は貴族としか付き合わない、はず)
・キャッチボールが嫌いだったのですが。インドア少女だったので、担任の先生が(ご自分の評価を)心配して、竹淵の父に「竹淵ちゃんとキャッチボールなどされては」と言い、しばらく大嫌いなキャッチボール生活をしたことがあります。
子供の頃と言うと。大体みんな球技大好きです。バスケやバレーなど、みんなでやって、みんながお友達、先生たちも(引きこもりも不登校児もいなくなるから)大好きな球技
球技が出来なくて、ボールがおっかなくて、ボールがどこへ飛んでいくのか分からなくて。当たれば痛いし、逃げればクラスの子から怒られるしで、大嫌いな球技。歴史や文学の勉強が嫌いな子は誰にも怒られないのに、球技が苦手なだけで、散々馬鹿にされる球技。球技嫌い。
嫌いな事を嫌いな人と。やっても上手くならない、仮にうまくなっても「球技が出来た」一点でも褒められるわけで、別に誰も竹渕の事なんかいとおしくない。皆が大事なのは「和」であって、あたしの事ではない。
チクショウと思いながら、なんとか「球技さえできれば、あたしの事バカにしないんだろ」と思うまで長かったような。「馬鹿にされないために」やる事なんか、絶対好きになれないし。
大人になって一番うれしいのは、球技なんかやらされない事。出来ない事が出来る様になって喜ぶのは、やらせている方であって竹渕ではない。
学生時代最後の仕事、卒論は「自分でテーマを探して、自分で解く」事が全てだったので、大変だったけど楽しかった。 |
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