■なんというか、コミケのない年末です。逆に、コミケが強行開催された場合の事態を思うと恐ろしいので、グンマで大人しくしています。
よく言われることかもしれませんが。
オタクは基本自分の事は話さない気がします。同じ作品を愛していても、触れたタイミング、環境、二次創作に至るまでの経緯、イベントにどうやって来たのか?(子供を家族に預けて来たなど)、経済状況、等、多分各サークルさんは全く違う足取りのはずです。
そこを。
「なんで結婚しないんですか」「その年で子供がないのは変ですよね」とか、一気に切り込む人はコミケ会場には少ないと思います(※いずれもリアルで言われたことがある、一応回答したが一笑に付された なら聞くな)。
そもそも、お盆も年末も週末も、家族がいる人には本来遠出や出費はキツイでしょう。そこをあえて、「遠征」「新刊」「頒布」「自分も宝さがしに出る」など危険を冒すあたり、お互い個々の背景は知らない方がいいような気もします。
また、私は余り人様のプライバシーを、ガッツリ知りたいとは思いません。それよりもコミケなんだから、思いっきりジャンルにはまり込みたい気持ちの方が強いです。
また竹渕の場合。
今まで生きて来た何十年よりも、目の前の「好き」なもの方に命を懸けたい時があります。苦しませるだけの何かより、一緒に輝けるものがあるのなら、そっちの方が愛しいです。
別にミュージカルを見ても、自分がクリスティーヌじゃないくらいの理性はあります。でも「今自分が劇団四季を訪ねたことによって、多少はオペラ座の怪人の売り上げにつながり、より舞台がいいものになるのでは」という下心ならあります。
そういうの、心理上でいうと同一視とか、投影などいうそうです。自分はクリスティーヌじゃないけれど、ファントムに彼女が呼ばれるとドキドキしちゃう、それくらいの混濁は許されたいものです。
そのへんの感覚の最大値が、コミケなんだろうと思います。そうでなかったら、白衣着てスペースにいない気がします。自分は医者でも高松でも生物科学者でもないのは重々承知だけど。自分がいいなと思った人の思う事を考え、思い、ついでに本にしてみたものを、他人様にさらけ出す快感。
そういう快感を得るためだったら、この泣きたいだけの人生生きてきて意味があったと思います。悲しいがな、「コミケは居場所じゃない」という昔受けたアドバイスの意味は分かっているつもりでも、多分実践できません。 |
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