■新刊を出す当ても、イベントに出る当てもないのに、ルザ高の小説を書きました。正月だし、自分の本業は高松サークルだとまだ思っています。
何回書いてもルーザー様は安定しないです。劇中からしてしゃべり方がアスと混じっていて、分かりにくい人です。南国終盤を見ていて、これはアス、これはルーザー様と見分けることのなんと楽しい事か(自分の勝手で区別しているから)
自分用に書いた部分と、シブにあげてもよさそうな部分と分けて、これからシブに上げようと思います。あれこれシブに上げて分かるのは、多分ゴリゴリに自己投影しないキャラの方が、(まだ)しっかり書けているんじゃないかという事です。
ピアノの森とか、ルパンとか。銀牙とか。劇中で完結しているキャラやお話は「この人は絶対こうなの〜!」とか「アタシが幸せにするの!!」とか思わせないなと思います。(落語心中の場合、かたの付け方がぶっ飛んでいて同人以上に同人な本編だった気がする)
(銀牙は、先に他界した方の犬の方が苦痛が少なかったのではと思う。それでも凄惨な最期が多いけど。そもそも野犬の寿命はとんでもなく短い。
銀とか、老衰で他界さえ許されないキャラだし、世代交代が十分起きてないのでは?赤カブトあたりで奥羽の平和が守られて終わりではダメだったのか?秋田県のために、日本中の犬を集めてしまった責任はもうどうしようもないけど)
■アオイホノオが読めそうなので、このまま新旧吼えろペンに続いて、読んでみようと思います。燃えろペンも読めそうです。
結構、同人誌のパロディネタになっていたり。アニメイトでお馴染みの絵柄だったりと、読んだような気になっていた島本作品なので楽しみです。
アニメGガン見ただけで、島本テイストを理解した気になってしまうのは何故なのか。(キャラクターデザイン協力とは?Gガンのムードの熱さと、妙に子供っぽいところは、今川監督なのかな?と思う Gガンはキャラもお話も熱くて好き)
あみちゃんの、勇者への道も、吼えろペンと同じ枠組みなのかなと思います。あの時はファンロードが普通に刊行されていました。
先日あみちゃんは何故テレビに出るのか?という事を考えましたが、そういえば当時からそんな感じもありました。大体の漫画家さんは「テレビとか緊張してダメ」「原稿が忙しい」などで受けないのかもしれません。
掲載がファンロードだったので。「あみちゃんがあみちゃんの公私をネタにするマンガをネタにして、読者が自分のハガキを投稿する」という珍事もよくありました。
そう思うと、あみちゃんの実態について二番三番煎じで情報が行きかうという、本人にとってよろしくない事態になるのでは(だから、鬼滅の作家さんはマンガ以外では表にでない?)。 |
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