■中学生の頃。生粋のコミュ障のくせに、内申書のために、何とか「お友達」を確保しようとあくせくしていました。お友達なんて自然にできると先生も親も周囲も言うでしょうが、私には出来ません。
なんとか竹渕を憐れんで、お友達になってくれた子とは。やはり竹渕のコミュ障ゆえに、大変こじれました。一生懸命相手が喜びそうな事を竹渕が考えても、そもそも「お願いだから一人で本を読ませておいて」というのが人生最大の喜びの人間なので、ろくな事を思いつきません。
「お友達」から私の学校の個人ロッカーを、おそらくシャープペンの固い先で、クマが爪で木の幹をひっかいたようなボロボロの傷をつけられました。
学校の機材一個ズタボロにされても、別に私は痛くも痒くもありません。多分「思い知ったか」という意味だったのでしょう。(学校の机の上に、ゴミとか菊の花とか置かれる奴と同じだったんだろうと思う)
今、お友達がどこでどう暮らしているのか分かりません。人のロッカーをボコボコにするような女が、ろくな人生歩まないと思えば爽やかかもしれませんが、多分、子供と夫に恵まれた、楽しい家庭を築いていると思います。
私も悪いんですが。「お友達がいないと、内申書が悪くなる、行きたい高校に行けない、したい勉強が出来ない、将来結婚なんかできないだろうから、せっせとサラリーを稼ぐ女にならないとアカン」と、本当はいらなかった「お友達」を求めた罰です。
かといって。本気を出して真面目に友情を求めても、「友達の竹渕ちゃん、暇だからアタシの宿題やってくれるんでしょ」という扱いだったので、何とも言えません。
なんてことを、傷一つない職場の個人ロッカーにコートを入れながら思い出しました。
■アグネス・グレイ。勤め先のご家庭への辛辣な書き方は最初から最後まで止まりませんでしたが、自分の旦那さんや家族については、賞賛の嵐でした。
と言う事は、アグネスとすると、勤め先のダメ家族はダメで、自分の配偶者や家族はOKと言う事なのでしょうか。本当の辛辣な言葉なんて、家族に対し発生しそうなんですが。
つまりアグネスはただの毒舌ではなく、毒舌になるべき相手に対し、毒舌だったと言う事なのでしょうか。ジェインオースティンだと、割と満遍なく毒づきますが。そこが何故か作品の軽妙さにつながる不思議。
(高慢と偏見でも、エリザベスやダーシーの悪いところは、ふんだんに書かれている。アグネスには、どんな欠点があったのだろう。きっと、愛すべき欠点だったと思う)Content-Disposition: form-data; name="image"
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