■コロナ禍を忘れようと。
モンゴメリのアンシリーズ、短編集、他長編まで全部読んで。ルパンのアニメ、ファーストから5、テレスぺ等まで全部見て。まさかルブランの小説もあらかた読んでしまうとは思いませんでした。
お馴染みの英国の長めの小説にも手を出していますが。こう、すべてを忘れさせてくれるものないかなと思って。
ムーミンを思い出して、ゾッとしました。可愛い絵柄なのに、じっと見ていると怖くなる絵です。小説も小学生の頃読んでみましたが、世界観が独特過ぎてよく分かりませんでした。
あと。なんとなく「ムーミンレストラン」的なところに行った時、「行った〜」と気軽に話したら、「一人でそんなところ言ってかわいそう」と言われ、ショック過ぎてムーミンの記憶ごと一回土葬しました。シナモンティーが美味しかった記憶が、「哀れなぼっち」と言われたショックを呼び覚ますので。
今になって別にいいじゃんと思い、ムーミンのアニメや小説を読んでもいいよねと思います。(確かにぼっちなのは認める)
■ヒカ碁って。かなりの割合で、佐為の碁のような気がします。ヒカルが、塔矢先生と佐為の対局の時、新たな視点を見つけた時に、佐為の碁は一つの終わりを迎えます。
素人だったヒカルが、佐為と名人の上をいく碁が打てるのだから、佐為の「役目」は終わった事になります。一緒に佐為の「人生」も終わるのですが。
もう、佐為がヒカルを高みから指導することもないし。ヒカルの代わりに打つような事もありません。だからって、佐為がキャラクターとして劇中から消える理由には足りませんが、碁が全てのこのマンガにおいては、十分は理由だったのだと思います。
そう思うと。
絵だけでヒカ碁を鑑賞するのは、結構大変なんだろうと思います。
ヒカ碁の華麗な画集も持っていましたが、「どうしてここにあかりちゃんが」と思うと、「絵的にいた方がいい」以上の理由が浮かばず、困惑しました。
絵的に、明日美がオンリーワンの女子では明日美のボリュームが増えてしまうし。「顔がいい」「絵的にかさばる」キャラだと、佐為で足りているし。
「ここはオッパイなんだよ、オッパイ」と誰かの違う声が聞こえてきて苦しいものを感じます。「ここにはスカートなんだよ、腹が見えそうなやつ」「カラーイラストくらい、性的なアイテムを置け」と誰か、ヒカ碁のカラーイラストを描いている時、言ったのでしょうか。
佐為にはオッパイもスカートも望めないのですが。
それは佐為が男だからではなく。佐為がヒカルの碁にとって、お母さんだったからという一点ゆえの様に思います。棋士であるヒカルの母は佐為です。ただし、ヒカルが最後まで「俺は碁に興味がない」という格好だったら、多分、佐為はヒカルを殺していたと思います。
もっとも
佐為の格好って貴族と言うより、売春・楽曲等を商売にしていた白拍子の格好なので、そのへんのJC、JKよりはるかに高度なお色気でもある。 |
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