madeingermany

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...... 2021年03月14日 の日記 ......
■ プライド   [ NO. 2021031401-1 ]

■下にも書いてあるのですが、近所の歴史資料館に行ってきました。

展示の細部については触れませんが、展示で知ったのは。目黒の雅叙園が足尾銅山の社長の家で。あの壮麗な雅叙園のどこかには、銅山のために切ったらしい、グンマの材木が使われているのだそうです。



雅叙園を楽しむ都内のお金持ちの人達には、あんまり関心を持たれない事かもしれませんが。

明治初期の上野戦争には、グンマ人が多く参加したとか。都内の美しい建物には、グンマの木材が使用されているとか。幕末にはグンマ人の小栗忠順というすごい人が、幕府側にいたとか。

あんまり口に出さないだけで、グンマ人は大変誇りに思っています。(その前に、日本中の人から「グンマってどこ?」と言われるのを何とかしたい。草津温泉は滋賀県にはない、長野でもない)



■近所の歴史資料館に行ってきました。

テーマはある意味マイナーで、何はきっかけになって今回このテーマになったのかまでは解説されませんでした。(特に大河ドラマ等に絡むテーマではない)

しかし

全国的に見れば「目にとまらない」事でも、当事者や県民、市民、エリアの住民にすれば、叫びたくなるような事だったのだと思います。



身バレするような気がしてよく言えませんが。足尾銅山が動いていた頃、栃木側の木を伐りつくしてしまったので、グンマの木に銅山が目をつけたのだそうです。

そしてグンマの山の中に木を切るプロ集団を送り、40年もの間、今となってはジープでも行けないような山の中に大集落があったのだそうです。

当時その集落は別天地と呼ばれ、学校、医院、仕立て屋、等、近隣の町や村とは別格の都会だったそうです。当時を知る人たちは高齢になり、いまでは人跡未踏みたいな場所になっていますが、誰かの「ふるさと」なんだなと思いました。



よく

なんで歴史なんか勉強するの、今さえあれば十分何て言う人がいますが。最近のテレビでのアイヌ民族への心無い言葉のように、知らない・気が付かない事が罪も同然と言う事があります。

歴史って今でも生きています。過ぎ去った事だとか忘れるべきこととか思うのは、間違いです。その証拠に、歴史資料館はかつてない盛況でした。当時の関係者やご子孫、新たに関心を持った人と、色々な理由で人が来ていました。



人や国、地域に対し、少しでも敬意があるのなら、それらの背景と言うか、誇りについて思いをはせるのもいいだろうと思います。

(全然関係ないんだけど。司馬遼太郎はほぼ日本全国を小説や作品にして書いていながら、グンマだけはドン無視だった。

長野や新潟をほめたたえる司馬氏の文章をうんうんと読みながら、いつかグンマを書いてくれる日を待っていた。そんな日は来なかった。

関西圏の人にとってグンマはドン無視されるべきものなのか、とちょっと恨んだ)

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