 ■小説ムーミンを一個一個読んでみて。
巻末の解説・エッセイによく「僕は小学生の時アニメのムーミンを見ていた、ムーミンの世界に憧れていた。スラッとしたスナフキンが〜」等書いてあるのです。
そのスナフキンがスラッとしているアニメ、貴方が解説している小説を書いた人に全然受けず、ダメ出しを何年も食らった後、お蔵入りして、再放送どころかDVD等の発売も永遠にないんだよ、と思いました。
小説ムーミンを解説する方に、昭和ムーミンの味わった辛酸は無関係ですが。ヤンソン女史の小説の世界を分かりやすく語りながら、一方で「スナフキンはスラッとしていてギター弾いている(明らかに新スナ、女史のスナはむしろ丸い)」と書いちゃうとは。
(昭和ムーミンの原作は小説ムーミンと言うより、新聞のコミックスムーミン。ライトでカジュアルで刺激的な方なのでは。昭和においてクールでドライな小説ムーミンの価値観は受け入れられたのか。ウェットで人情・道徳的でもある昭和ムー)
■戦前の作品と言えば検閲、発禁の歴史ですが。
荷風のものなんか読んでも、なんで発禁になったのかいまいち分からない時があります。当時としては、煽情的に過ぎたんでしょうか。
鴎外ではないですが、路上で春画とか平気で買えたというし、良家のお嬢様でも「性の指南書」的な意味での春画の所持、性は繁栄につながるとかで、お守り的に春画が売買されていたと聞くので、性を扱うと直ちにアウトというわけでもなさそうです。
男性が女性を一方的に辱めるような作品だと、検閲にかからない印象があります。男と女が「楽しんでいる」とダメで、黙々と子孫繁栄に励んでいると、全然スルーなイメージです。どこの江戸城大奥なんでしょう。
時代的に、家長制の徹底、男尊女卑の確立、上下関係の確立など、兎角今の日本の「形」を作ろうとしてた時代の事なので、男が女をいじめる分には全然検閲にかからないと思います。女がなんか楽しい事すると、ぶん殴られるでしょう。
(つまり今の日本でよしとされる男尊女卑の数々は、明治政府が統治のために始めたキャンペーンに過ぎない。アメリカの女性が戦争に工場などを通じて参加して、地位を上げて行ったのに対し、日本の女性は「魂」「心」など無意味で無産的なものばかり求められ、和風をよしとするが故に、動きにくい和服や日本髪のままだったとか。)
さて漱石は
厳しい時代の作家なのに、検閲に引っかかったことがないらしいです。朝日新聞に堂々連載していたので、ひっかかるはずないじゃないと思いきや、荷風は雑誌掲載OK、刊行はダメという事もありました。
漱石と言えば
・姦通、不倫のお話大好き ・兄の妻、先生の妻、等大好き ・上の人の言う事聞くのキライ ・アンチ西洋文明とも言える人
なんで検閲にひっかからないかなと思いますが、その辺が漱石の漱石たるところなんだろうと思います。肝心なセックスの話はにおわせる程度で、とことん心理描写に突っ走るのが決め手だったのでは。
だから、高校の国語の教科書にも漱石は載るんですが。「なんで先生はお嬢さんではなく、奥さんに結婚の意志を伝えたのでしょうか」という命題について、「だって先生が、お嬢さんをお嫁にもらう前提で、神社の裏か待合かどこかでいいことしたとか書いたら、検閲にかかるから」とは言えないんだろうなと思います。
行人の一郎みたいな、「僕は女の肉に満足しない(心が欲しい)」と言う変わり種もいる訳です。漱石の小説を読むと「貴方の気持ちが知りたい」とかの欲求のオンパレードですが、ならば「別に性と金に満足出来れば十分」とかいうキャラばかりだったら、多分検閲に持っていかれます。 |
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