 ■三国志でも読む時みたいな。三国志脳、そしてムーミン脳があればいいと思いました(三国志の死者の人数等を一回忘れてしまう感じ)
ヤンソン女史は。芸術家一家に生まれたと言います。女史の兄弟も、小さい頃から創作に励んだと言います。もしこの家系で「高校卒業後OLになって24歳で寿退社、その後順調に母となる」の人生を選んだ女性がいたら、逆に驚くかもしれません。
だから何だと言う事はないんですが。
日本において、イレギュラーに生きる・生きざるを得ない人生と言うのは、ほぼ生死にかかわる話なのだと思えてなりません。
子供が「休み時間にドッヂボールなんかしたくない」と思う・態度に出す・声に出してしまう、なんてしようものなら、学年主任でも出てきて「度重なる説得」「親御さんと相談」「転校を勧められる」レベルの事になりかねません。(大体竹淵の話)
今でも、地毛が茶色の女の子などは、学校で悲惨な目に遭うとか聞きます(頭皮が真っ赤になっても黒く染めさせられる等)。
女史の世界についていけない理由はいくらでもあるのですが、もし女史が昭和ムーミンにノーと言うのなら、その辺の「違い」が「私のムーミンじゃない」と言って欲しかったかなと思いました。
■明暗。津田と吉川夫人の関係だけでも、十分離婚案件だなと思います。
津田の清子との交際の前後、お延との結婚の前後、お延の人柄、性格、金使い等、ここまで口をはさんで止めない女、夫人が姑で秀が小姑と言えそうですが、秀はともかく、夫人は他人です。
こういう、ありえない他人との関係を平気で書いてしまうのが、漱石なのかなと思います。昔はこういう、いやらしいまでに濃厚な関係が普通だったのでしょうか。
なんて考えていて、鴎外の事を思い出しました。
・留学先で恋人をつくり、結婚話まで夢見るも、当時の事なので破局。破局と言っても鴎外がけじめをつけたというより、一族総出でドイツ人女性を追い返したとか聞くので、いやらしい。自分でけじめをつけられないのか。
・余程ドイツ人女性を忘れられないのか、結婚後に生まれた子供がことごとくキラキラネーム。確か離婚後、お母さんにお妾さんを持たされ、そのお妾さんの「選定」もキッチリお母さんが「子供の出来にくい、面倒のない女性」を見定めたとか言う ああ?
・娘に恵まれる鴎外。
その娘が女らしくなった頃、きっちり「結婚できる体か」と自ら検分したとか言う(そりゃ医官だけど)。というか、娘がいい加減女らしくなった後でも、一緒に風呂に入っていたとか言う。 ????
日本一の知的エリートの一人、鴎外もこんな感じかと思うと。津田が小物に見えてきました。
結婚と言うと恋愛結婚を指すのは、あくまで戦後の事です。以前は雪子のように、「釣り合う異性」を徹底的に身辺調査したうえで、しかるべき仲介人を立て、日取りを選んで、見合いをして〜というのが普通だったはずです。
お延はこの辺からして、「あたしは津田がいいの!!」と主張してしまったイレギュラーな女。また、結構な段取りを吉川夫人達に「してもらった」のに、津田から逃げ切った清子もイレギュラーな女です。
夫人と秀の異常さが、普通に思えてきました。マザコンの女帝、小姑のクイーンみたいな両人なのに。 |
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