■ムーミンと言えば大塚さんパパ達一家ですが。
思えば平成ムーミンでは、主な声優さんにデビューして間もない方が多かった気がします。大塚さんは声が低いので当初からベテランに聞こえますが、88年デビューです。
だからじゃないですが。フレッシュで勢いのあるアニメになったのかなとちょっと思いました。既に大昔「完結」しているムーミンなので、残るアプローチは「研究的」にならざるを得ないところを、何らかの馬力みたいなものが動いた気がします。
昭和ムーミンも。
「どうすれば受けるか・続けられるか」「流れを作れるか・乗れるか」を真剣に模索した感じがして好きです。いい意味で芸術っぽくないなあというのが、自分のムーミン達への感想なのですがどうでしょう。
(ただし女史は生粋の芸術一族の生まれであって、若い頃から既に芸術家だったという。今も本当のムーミン版権等はヤンソン一族の管理にあると聞いた。つまりムーミンは、グローバルなアートオブアートな存在とも言える。)
今の日本のムーミンブームは、「(昭和ムーミンの流れを組む)安心のムーミン」という合言葉があるのでは。一過性のブームに終わらなかった視聴者だけ、小説等の陰惨で暗澹とした世界に飛び込んでいくのか?
古来のムーミンを思うと。戦争中の記憶から始まるので結構薄暗く、不安と悲しみと、「気負い」にあふれている
■ムーミンの小説を読んだら
ミイが、罪もないアリの群れを、灯油かけて殺していました。本当に罪もないアリで。話の流れから、ムーミンが「アリを殺した」のなら一応の筋だったと思いますが、無関係のミイがアリの群れを殺しまくるという内容でした。
昭和ムーミンの時
ミイが残虐に過ぎるという意見が、ヤンソン女史からあったと言いますが。平然とアリの群れに灯油をかけられる神経はいいのかと。
まあアリなので
シロアリ駆除、ハチの巣を駆除する場合と思うと、誰がしても自然とも言えますが。直後に、ミイが鳥のお墓をつくる場面が来ます。アリの殺害と、「ごく自然に死んだ鳥の葬式」を並べられると困惑します。同じ命じゃないかと。
仏教式の考えと、北欧的?な思考の食い違いかもとも思えるのですが。
ムーミンと言えば、日本人も「大好き」です。かなり初期にムーミンを映像にしたのは日本も負けていません。
電車や仕事場でも、ムーミングッズを持っている女性をよく見かけます。ミイ、スナが人気の様です。自分も楽しめると思って手を伸ばしました。
面白い部分は多数あるのですが、ミイだけが分かりません。「実は優しい子」とも聞かれますが、そりゃ、クラスのいじめっ子だって「誰かには」「いつかは」優しいでしょう。
ミイの優しさ?って、ハラスメントしてくる人の気まぐれの「優しさ」に思えます(常識?はあるけど散漫な方法でしか使わない)。ミイが小柄だから許されるのかなと思いながら読んでみても、ミイは女史の代弁者的な部分もあり、容姿と立場と発言と行動が合っていません。
「頭のいい末っ子」「賢い子供」と言うのはよくありますが。ミイの場合、甘やかされたおっさんの気まぐれにも似ています。そりゃおっさんだからもっともな事も言うだろうし、役に立つことも言う・するでしょうが、所詮おっさんなので遠慮がなく、妙に分かったげな事を言うところが。
とりあえずムーミン一周したら、10年後くらいに読み返すかもしれません。 |
|