■スポーツがどうにも好きになれないで、ここまで来たのですが。この一年でその理由がハッキリわかった気がします。
小さい頃から。野球や水泳、テニス等を頑張る・結果の出る子に、親ぐるみで大騒ぎをしているのを見てきました。頑張る子を応援するのはいいと思いますが、反面、運動嫌いの私は親に憎まれていました。自慢にならないから。
勉強だの仕事だのは未来の事で、「めだつ」スポーツ関連で落ちこぼれの竹淵はクラスでも家でも、邪魔にされていました。そりゃそうで、みんなが大好きなバレーボールなのに空気に乗れない人間はお荷物です。頑張り方も分からず、モタモタ生きていました。
それでも出来そうなことは全力でやっていたのですが。
弟が水泳の大会とかに出る子だったので、ウンチの姉はせいぜい「偏差値」で親に褒められ・・・ません、文系なので「飯が食えない」という理由で。
文系でも飯の食える生き方を模索して今に至りますが、別にスポーツ関係者に恨みはなくても、「スポーツは特別(=文系は無駄飯食らい)」という、潮流は大嫌いです。
歴史って何のために勉強するの、無駄でしょと言う声には。「日本史で不要不急だの、精神論だの国民総動員だのという言葉が出てきたらヤバイ」と思えるようになるためだと言います。日本は、蒔岡三姉妹が豪勢な着物着て、京都で花見をするくらいがちょうどいいと思います。(雪子の結婚以降、対米戦が始まる)
■昔。ハラスメント系でとんでもない目に遭わせられた時。助けれくれそうな人?に助けて下さいと言ったら。
「そいつねえ〜いい奴なんだよ〜うふふ」と言われました。
いやいや、今そのいい奴とやらに困っているから、助けを求めたんじゃないですかと、具体的にどう困っているのか説明しました。ですが
「本当はそいつ、いい奴なんだよ〜えへへ」とか言われて終わりになりました。
ああこの人は私を(立場的に)助けるとかより、困っている竹淵より、「そいつ」の方が可愛いんだなとよく分かりました。そりゃあ、付き合いのない竹淵より、近しい「そいつ」の方がいとおしいでしょう。
立場的に「うふふ、えへへ」としか言わない人に助けを求めざるを得なかったのですが。結局救援は来ませんでした。以降、「本当はいい人」という言葉をほぼ信じなくなりました。
高松やルーザー様を語りたい時も、なるべくならほかのいい方を考えます。高松やルーザー様の被害者からすれば、高松が恋愛脳の乙女でも、ルーザー様がブラコンでファザコンのデリケートな男である事も、全くどうでもいい事です。「あいつにやられた」以外の感情はないと思います。
「本当はいい人」ってのは
いい人?に変貌するだろう時が来ればそうなるのであって、少なくとも竹淵の前ではそうじゃないかもしれません。「そいつ」がいい人になりたい時、優しくしてあげたい時、一緒に楽しみたいなと思った時は、まあいい人に変身するのでしょう。私の前じゃなくて。
人生あるあるですが
多分、ムーミンのミイも、別にいじめのトラウマ持ちの読者・視聴者でなければ、一緒にアリに灯油かけて殺しても楽しいと思います。
ミイは「何か言われて怒るのは、図星だった時」とか言いますが。4Kムーミンで、「チビ」「孤児のかわいそうな子」「いる場所のない悲しい子」と言われていて怒っていました。図星なんじゃんと。
本当にいい人、優しい人は、されたくない事をしない人じゃないかなと思います。人によって、時と場合によって「されたくない事」のバージョンは星の数ほど増えます。いちいちついていける人、旧スナ・新スナ・平スナに出会うとちょっとホッとします。
(原スナは結構獰猛、4Kスナは今時の子) |
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