■毒親、毒祖父母あるあるの。
「他人は怖い」という脅しがありますが
私の祖母も懸命に「他人は恐ろしい」と私に説いていました。確かに、「あの家の収入はいくら ボーナスはいくら」とまでお互いの家の事を知り尽くしている、恐怖のローカルネットワークは地獄です
でも私に世の中に出る事を教えてくれたのは、顔も知らない他人の方達でした。
オタク同士の会話は、ネットであれ手紙であれ、基本的に敬語でしょう。相手がどんな人か、年上か年下か、まるで分からない中で、自分の最愛のカップリングや嗜好についてのやり取りをする場合、大変気を遣うと思います。
皆さん、とても丁寧に接してくれました。自分も真似てホームページを作ったり、本を出したりしました。あれこれ相手の方に迷惑をかけていたろうと思いますが、「相手に礼儀と敬意をもって接する」事を教えてもらったと思います。
今のSNSは逆にフランクなのかもしれませんが。自分が成人する前後のオタク界隈はそんな感じでした。ジャンルに大人な人が多かったのかもしれません。
■あんまり信じたくないのですが
田舎の方だと、いい大人になっても、お爺さんになっても。「むかし、彼が野球部の先輩だった」から生涯頭が上がらないとかあるのだそうです。
密な人間関係が昭和のウリだったかもしれませんが、もはやホラーです。相手と同年だったらラフな関係だったかもしれないし、年下だったら自分の方がふんぞり返っていたかもしれないと言いう、覚めない悪夢みたいな
ですが
あるあるかもと思いました。
自分も、「生まれ変わる」と信じてあれこれ頑張っていた時期があったのですが
別に生まれたままの竹淵でした
学歴、職業、美肌、(可能な限りの)明るいコミュニケーション等、やれることはやっても、相手にはブスで豚で運動ダメな、根暗な竹渕のままです
よく考えると、相手にそんな「見直してくれる」様なセンスがあれば、最初から竹渕を見下す事はなかったかもしれません
見直すも何も、相手にセンスも思いやりも道徳もないのだから、ある意味無駄だったなと思いました。無駄なりに、頑張った事は別の場所では役に立つのでいいんですが。
あと、そもそも「あいつの頭いつか踏んでやる」とか思った相手に、仮に数年後に出会っても、まあいい顔は出来ません。逆に、相手に保険だの宗教だのの勧誘されるだけでしょう。「お友達だったよねえ」とか言われながら
(勧誘を断って、「このアタシがアンタなんかをお友達にしてあげていたのに!!」と罵倒されるまでがセット)
全ては私の努力が足らなかったのではなくて、相手に酌量の余地がないからと思えば、別になんともありません |
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