■仕事のようにムーミンを見ています
あるムーミン世界についての本で、「楽しいムーミン一家のアニメは、原作小説の11月の後の世界ではないか」とありました。
(自分的には新旧昭和ムーミンあっての、平成ムーミンだと思う。昭和ムーミンが女史に憎まれようとも、存在を否定されようとも)
そういわれると納得もするし、違う気もします。ムーミンと言う世界自体、WW2のクライシスな空気の中で誕生しています。世界的なクライシスの後は、ムーミンママの不在で幕が下ろされます。
トーベ女史の母堂が亡くなった事によって、ムーミン世界は一度終わっています。主に書いていた女史のパワーが尽きたとも言えますが、最早ムーミンの世界は女史だけのものではなくなっていました。
相変わらずムーミンの版権は女史一族のものですが、あのムーミン世界の誕生と終幕のクライシスな感じはありません。ムーミン谷の仲間たちも、あんまりクライシスな感じはありません。皆、現代っ子です。
(だからたった一話で11月をやるような無茶はしないで、ミイ萌え?キャラ萌?に突っ走るか、相当の尺で11月をやればいいのにと思う。または11月のキャラをスナとトフトだけに絞るとか)
実際、楽しいムーミン一家アニメの頃は、まだバブルの余韻があったようです。ちなみにその頃子供だった子達は、氷河期に成人し、地獄を見ます(親世代がバリバリの昭和ないし、バブル期の享受者なので、家庭内で吸う空気が違うのだ)。
東日本大震災後、実は厳しい世界であるムーミンに注目が集まったとも聞きます。
地獄や悲劇、災厄の時代にムーミンかなと思います。(だからダダ飯食い、大食い、美食、窃盗、のぞき大好きのミイに疑問を覚えるんだが。やっていることはスティンキーと同じじゃないかと。悪の自覚があるだけ彼の方が 以下略)
■多分そいつ、今頃パフェとか食ってるよ、と先日読みました。そうだなあと思います。
彼も彼女も、今頃私がいなくてもハッピーなんだろうなという事は死ぬほど分かります。だって私が近くにいた時から、そうだったから。あれ、ここに私いなくていいじゃんと気が付いた時の心の軽さといったらなかったです。
(団体行動が正義、一人で行動するのは狂気の沙汰という教育を受けて来た 農家が多かったからか?)
マジックは、大変美味しく、何杯もパフェを高松の前で食べて来たんだろうなと思います。シンちゃんの七五三、シンちゃんの誕生日、シンちゃんとクリスマス、とキラキラ&ハッピーだったでしょう。
とりあえず高松の作戦の、「この男の権力と地位だけ利用して、ルーザー様のご子息の安全を図る」というのは成功したようです。
もしマジックがシンタローの放つ違和感に負けてしまった場合、高松は医者&教員の立場で介入して、助ける気だったのでしょう。だから、マジックを憎んでいてもシンタローの幸せのために、どうしてもガンマ団から離れられなかったのでしょう。
高松がわざわざパプワ島まで来たのも、シンタローと言うかキンちゃんの進退を見極めるためだったのでしょう。グンマ置いてきぼりだなという事ですが、グンマは多分相当昔から、「高松の本気は僕じゃない」とは知っていたろうと思います。 |
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