■ネットで「介護」「家族」等を扱ったエッセイマンガを読むのですが。「こうやって私達夫婦は乗り越えた」的なオチをつい待ち構えてしまいます。その方が読んでいてスッキリします。
ですが
ヤバイ男は生涯ヤバイままなのだとも思います。何がヤバイのかと言うと、ジャイアンの暴力と横暴さ、スネ夫のずるがしこさ、のび太の怠惰さを全部足したような男がいます。
ツイッターか何かの記事で。「男の本性が知りたかったら、小さな権力を持たせてみよう」というのを読んで。「よくある、結婚して男が豹変したというのは、男には女のいる「家」が権力を誇示する場だから」かなあと思うと腑に落ちてゾッとしました。
女子供は奴隷、親戚とかはちょっと距離のある人は「観客」なんだろうなと思います、その男には。内側の人間である女子供は、鞭を振って観客のための芸をさせるべき動物だったんだろうと。
権力と言うと、なんで自分が男がハンドルを握った車に乗るのを「楽だあ」とか思わないで、「死ぬ、殺される」と気が違ったように嫌がったのか分かった気がします。車内と言う男の支配下に入った困惑と拒絶だったんだろうなと。(本来「わ〜ありがと〜」と言う案件なはずなので、どうしてか狂いだす自分に困っていた)
■あんまり明後日の内視鏡検査の事を考えないでおこうと思います。ほぼ一日がかりだそうで、読みかけの本は持って行きますが、多分読書どころじゃなさそうです。
それでも書籍を手放しては生きていけないので、何か持って行きます。
■南国とPAPUWAって
シンタローが不在の時が一番盛り上がるんだなと思います。シンタローが死んでしまった時、「俺死んでいるから」と皆に戦わせる場面が最大値で盛り上がっていた気がします。高松でさえ、「シンタローさんが戦えない」事から前に出て来ました。
PAPUWAも、主人公であるコタローを探すシンタロー総帥だったのが、立場が逆になり。いなくなったシンタローを探す一族と団員、というノリが一番長かったです。
(何々を探せ!!みたいなノリをあみちゃんが志向していたらしいことは聞いたことがある。
でも宝探し的なノリを、オッサン(この場合シンタロー、リキッド、トシゾー達)で延々やるのもどうかと思うし、話の軸が「頑張るリキッドが可愛い」と早急にずれていくので萌えどころが難しい。パプワとチャッピーが一番大人なんじゃないかと思う。
そう思うと、南国のイトウ&タンノはうまい事、「脱線しそうな話を本筋に持っていく」役を果たしていた気がする。エドガーじゃないが、独自目線がある「オカマ」キャラはいい、すごくいい。カミヨミのようでもある。
でもあみちゃんの究極形態が
・男に褒めてもらう (トシゾーに称えられるリキッド、ジャンに崇拝されるサビ)
・みんなに「自分の仕事」をしてもらう (皆にかばわれることが多いシンタロー、寝ているうちに任務が終わる描写は?と思う。PAPUWAで結局、体を張ったのがコタであり、パプワだったこと あれだけ周囲にオッサンがいるのに)
南国とPAPUWAはいいところが沢山あるのに、楽しむのにさえバランスが求められる難しい作品なのかなと思います。特定のキャラに早めに激萌えするのがコツなのかなと思います。
そんなことを先日小説を書きながら思いました。サビも高松もマジックも、シンタローが「いない」ところで身勝手なファイトを始めるような気がします。
結局、シンタローにガンマ団の怖さも、一族の汚さも伝わっていない遺恨になるのでは(ムリ、シンタローが思う清らかなガンマ団&一族なんて 過去の関係者の怨念だけで死者が出るレベルの悪事の山) |
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