■政治が信じられないのは今に始まった事ではありませんが。政治と言うか、立法・司法・行政というシステムに対する畏敬は失いたくないなと思います。
もっとも。政治の世界では「金のある、健康な、コネもある、地縁もある、年を取っている、時間も豊富にある 男性」しか戦えないだろうなと思います。たいていの人は、自分の用事でてんてこ舞いです。だから選挙等のシステムがあるんですが。
ある意味「完璧」である日本国憲法は(平等とか自由とかいろいろ書いてある点で)、国家と国民の関係において発揮されるもので、国民VS国民の場合は別にそうでもないらしいです(判例的に)
(とんでもなく権力を握った一部の男性の)日本人VS(ごく普通のあんまり余裕のない、大体女性の)日本人の場合、最早政治も何も守ってくれないようです。私人間の事だから。
(でも私人間の報復は認められていない、自力救済をしないで、皆で民法を守ろうとのがセオリー。でも報復したいような相手は民法なんか意識していない。加害者天国)
■可能なら講義を受けてみたいと思う先生、千葉教授編集の谷崎の書簡集を読んでいます。
書簡だけ読んでも何のことか分からないはずなので、間に千葉先生の解説が入っています。当たり前じゃないと思うなかれ、漱石の書簡集で「解説」が最後か最初にあるだけのを読んで、気分的にギブアップに近くなり、「書簡分からん、当人同士じゃないし」と思ったことがあります。
漱石の場合、作家として活躍した期間が短めなのと、ある程度まで親しい人の名が挙がるのでセーフとも言えますが。谷崎の場合、転居の回数、結婚離婚のタイミング、家系図の複雑さがあり、解説が重要です。
だから日文は「読んだだけじゃ分からん」ものだと思います。よく「国語は退屈」と学生が言いますが、分かるはずない部分も多いでしょう、他人がいつだったか書いた文章なんですから。
怖かったのは。何を読んでも「学生運動」の話を繰り返す作家さんに出会った時です。確かにトレンドではあったと思いますが、実感のない事でもあります。
いい本に出会ったと思って何冊か同じ作家さんの本を読んだら、ひたすら「ゲバ棒」「講義が受けられなかった」等書かれ、へえとしか思えなかったことがあります。
それくらい「他人の生きた時間」は解説してもらわないと分かりません。先の学生運動も、「運動に関わっていたら大人の世界で就職出来ない」という理由で下火になったとか。 |
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