 ■金田一とくれば。犯人側のメンタルまで書いてあるのが特徴かなと思います。コナンでも書いて無くないですが、基本英米風のミステリーなせいか、そんなにウェットではないかもと思います。
猟銃でも(人に向けて)振り回さない限り、突破できない「何か」があるなんて、今の自己責任論全盛の世の中では、テーマになるんだろうかと思います。
猟銃や日本刀を振り回せば、解決できる「何か」なんてないんですが。大体、イジメの現場じゃないですが、イジメた方は幸せに結婚、出産等していて、イジメられた方は一生心理的外傷になっていて。やり場のない苦しみと戦うしかなくて。
和風のミステリーがウェットなのは。「そのやりきれなさ分かるよ、でも、猟銃振り回して相手を数年かけてでも殺害しても、結局自分も裁かれるし、いいことないよ、なんとか他の方法で幸せになろう」という意味なのかなと思います。一ちゃんも、「あんただって幸せになりたかったんだろ」的な事を犯人に言っていたような。
和製ミステリーのカタルシスって、犯人を捕らえる興奮にあるのではなく。犯罪を犯すことで「何とか」しようとした人へ、「罪を償え、他に生きるすべがあるはず」と対話を試みるあたりにあるのかなと思います。
■しばらくガラカメを読んでいないのですが。
一蓮と月影先生の関係を考えていました。一蓮は何で自殺したんだろうとか、月影線先生には一蓮がなくてはならない人だったと思うけれど、一蓮には「君がいれば生きていける」くらいの地位までには先生が上がってこなかったのかなと思います。
どうも一蓮がいた頃の文豪たちと比べると、一蓮は華奢に思えます。演劇とは違いますが戦時中グンマに、野上弥生子がいて
・夫を都内に置き去りにして、別の男と恋愛を楽しむ、文章も書く ・誠実な夫がいるのだけど、過去出会った美男子・中と「愛し合っていた」様なファンタジーを楽しむ
・実家がお金持ちなので、なにも困らない ・夫は私大の先生、私大は帝大より偉くないと本気で思っていたという だから旅行記に夫がほぼ出てこない?
他、一蓮と同時代の作家さんの作品は結構読みましたが、皆太くたくましく生きていた気がします。ガラカメはあくまでガラカメの世界であるし、一蓮にタフさや世故に長けた所がないのは仕方ありません。
月影先生と一蓮の関係は、高松とルーザー様みたいです。でもルーザー様は高松に紅天女はおいて行かないでしょう、「君との愛のあかし」的なものなんて。(あえて言えばキンちゃんの存在がそうとも言える)
月影先生は、一蓮との愛のあかしである紅天女という芝居を終生抱きかかえ、マヤか亜弓さんに譲ることなく亡くなりそうです(だって新刊が出ないよ?)。
先生が、男との愛のあかしとやらを心の支えにするのはいいとしても、マヤや亜弓さんの人生を狂わすレベルで「愛」を振り回すのはどうかと思いました。先生がすべきなのは、いつまでも紅天女が愛されるように配慮する事であり、マヤや亜弓さんを宿命で殴りつけるのは違うのかなと。
(劇中が先生と一蓮の「愛のかたち」に共鳴し、かつ版権をめぐって壮大なバトルをするのがガラカメなんだけれども。皆、やりたい芝居をしてもう少し楽に暮らせないかと思う) |
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