■フィクションに何を言う事もないのですが。
イニDの涼介、なんで東大や慶応に行かなかったのかなと。家の事情等あると思いますが、「グンマから出さない」というのは女の子ならあるあるですが、涼介は男の子。
高崎高校というか、学校の先生はなるべく東大等「すごい」学校に生徒を送り込みたいので、涼介が文字通り高高トップなら、先生は親に「どうか涼介くんを東大、慶応に」と頼むレベル(?)
・群大入学は本人の意思 ・啓介がぐれ出したので、ヤングケアラー状態だった涼介は東京に行く気になれなかった?
・都内で走り屋するなら、首都高になる (親が泣いて止めてくれと懇願するレベルでは または学費出さない、勘当だと言い出されかねない挙動) ・赤城山が大好き過ぎて(イケメンでもグンマー)
涼介本人の中で、余程「(いろいろな意味で)都内」に行きたい気が低かったのかなと思います。
■谷崎の武州公秘話を読んでいます。蓼食う虫と一緒の本に収録されていました。
蓼食う虫はまだ舞台が近代である事、登場人物が分かりやすい事で、共感できなくても読めましたが、武州公は結構読みにくいです。
時代物なのに、妙に現代的な考えを持つ人物がいたりとか、そういうアンバランスな意味で読みにくい時代小説は多いですが、武州公の場合、「地の文」が多いなと思います。
蓼食う虫の場合、まだ実況的な地の文なので読みやすいんですが。武州公の場合、ズバリ谷崎の解説になります。「けだし〜」な感じです。書いているのが谷崎だからそうなりますが、講談的な雰囲気になります。時代考証とかしない勢いの時代物のノリ。
あと
別にエロくもグロくもないと思うのは、自分の内面がただれているんでしょうか。あ〜谷崎だねえとしか思わず読んでいます。
エロもグロもあふれているはずなのに、それを書いている谷崎の真剣さの方に気が向くのかなと思います。むしろこういう舞台設定が派手なものより、サラッとした近代を舞台にした小話の方が谷崎はゾッとさせる気がします。卍とか(卍も安定の変態ぶりなので逆に穏やかに読める)
谷崎の書く男達は、大体わがままでヒステリー持ちで、癇性で贅沢で短気なので、彼等に同情しないで楽しく読む習慣がついたのかもしれません。細雪の奥畑とか、いいところなしの男なのに出てくると場面が楽しくなる妙な人。 |
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