 ■ふと。啓介と恭子の前橋デートってランチを県庁で食べて、いきなり夜の赤城山になっています。
あれ、夕食じゃないよなあと思うんですが、じゃあ午後ずっと何していたのさと。買い物?なら恭子の荷物が少ないし、ほぼ前橋にいたのなら、コアな観光地はいくつかありますが
(恭子のミニスカを思うと結構遊べるのは限られるけど 美術館等には行かないだろうし 走った訳じゃなさそうだし)
・・・そういう事なら、恭子の当惑は無理ないよなと。ちなみに赤城山こそアウトドア・ハイキング等で一日中でも遊べますが、ミニスカに女性らしい靴はアウトでしょう。虫も多いし、案外冷えます。
■全くの妄想なんですが。後期こち亀の暴走について。
・もともと、こち亀は暴走がウリだった。中川は街中で発砲したいから警官になり、麗子も「男よりコワイ」とかいうのがウリで、スーパーレディ化の前でも十分キレていた。
無論、両津のキレ具合も「ひどく」、部長が怒ったり、左遷されたり、つるされたりと、オチも豊富だった。
アニメ化、アイコン化等で、「弱く」なる両津
書いていてストレスになる?
かといって本当の意味で両津が恋愛したり、所帯を持つと、こち亀は終わる。そういう漫画。
両津は例えば悟空のような能天気系なキャラではなく、大人であり、高レベルな知能犯、詐欺の天才、「金の亡者」なので、それらがキャラになっている以上、本当は「丸くなる」事自体危険な事とも言えそう。
代わりに
暴走専門のような大阪登場、他、女性キャラの暴走も止まらない。ギャグ漫画なので何でもありだけど、回収する気がないのは昔からか
特に女性キャラの場合、擁護も保護も優しさも何にもなく、アマゾネス的な描写で終わりな事が多いと思う。「実は両津より強い」「中川より金持ち」「麗子より美人」などな女性キャラが激増し、インフレになったのでは
春が巨乳でないのは、作者の描きたかった両津代わりの暴走描写かつ、「どうせ」ネタを絞られれば描き捨てられる多くの女性キャラと一線引いていたからなのかなと思う。女=使い捨て=貧乳の春は別格、と言うことなのか
春が全く制裁等を受けない上に、常に「両津の上」であるのは、両津の「常識人」「弱体化」の果てに生み出されたキャラであるからなのでは。かつ、「女なので好きにすれば」的な、描き捨ての要素もあり、春にオチはない。
(それは面白くないのでは、漫才だってオチは要るだろう。春自体が出オチ、作者の思うファイナルアンサーだったのかもしれない)Content-Disposition: form-data; name="image"
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