 ■吾輩はランサーエボリューションVである。主はまだない。何でも砂埃と歓声と、嵐のような声援の中生まれた気がする。(続く)
エボのパパ・ママは、スタリオン・ギャラン・ランサーですが、別に生まれたエボを捨てないよなあと雑感。エボ自体は10プラスアルファまであるので大家族。それぞれ擬人化したら面白いと思います。
■久しぶりに漱石を読んでいます。初心に帰って猫です。
・スーッと来る
・このまま衣をつけて、揚げて食べたいくらいグッと来る。または、私が衣をつけて、揚げられて、サクサクの何かになるような昇天な感じがする(?)
ほぼ暗記しているようなものなので、「次の文章」が読んでいて浮かぶ。谷崎の細雪でもそうで、ここでこいさんが〜ここで雪子が〜とか、後から後から湧いて来る。
苦沙弥先生の家も、幸子達の家も、間違いなくあたしの家だったんだなと思う。くつろげる、あたしの家。
が
そんな高揚と一生いられるはずもなし
文章を書きまくってもどうなるものでもなし、思い余って同人誌即売会会場で、出張編集部に行った際
「マンガは何か言えば哀れに過ぎるからノーコメント(という雰囲気。プロのネームを模写しようと教わったので、1、2回やってみた)」
「小説がメインの様だから、そっちのコメントをします」
「文章が漱石と谷崎に似ている」
(ちょっと喜ぶ竹淵)
「つまり、今時読まれないし、そもそも読みにくい もっと読まれる文章を 会話とかアクションとか最初に入れて多めにして(だったかな。確かにパプワでルーザー様と高松の関係だけで、数ページよく使っていた。書いていて楽しいけど、出来栄えは)」
(志賀みたいな簡潔な文章を?と聞いてみる竹淵)
「そういう事じゃない」
(はい 志賀は神様だけど、そういう事じゃない)
思考回路ごと、漱石や谷崎の文章で行うので、私はもうどうしていいか分かりません。あれこれ文章は読んでいるつもりですが、読みなれた猫の文章ほど、安らかになれる文章がありません。再度読むと、猫もゴチャゴチャした文章ですが、だからいいなと。(あのリズムがいい)
後期の重い文章も好きですが、こういう、漱石が気分転換してるな〜と分かるのが好きです。 |
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