■下にもあれこれ書いてあるんですが。今年は紅葉を見に随分、群馬〜栃木を走りました。標高差もあって、ベストなタイミングを何回も味わいました。
日本三大車窓じゃないですが、苦労して眺めた景色はキレイです。さて。私の父がよく、カレンダーなどの美しい紅葉の写真に対し、「色を調整している、これはクソ、偽物」とよく嬉し気に言っていました。今で言うマウント?でしょうか。
人が、わーキレ―、いつか見に来たいなーと言っている横でクソみそにけなすのが好きな男でした。うん、私もこいつの事クソみそに思おう、と思いました。
■いいオバサンになったので、今更と言われそうですが。自分の供養だと思って書きます。
・よく、家族、主に父が主導で、母と私の兄弟がノロノロと行きたくもない外食に行った時。外食と言っても、ファミレスか町中華、普通の近所の飲食店。谷崎なら死んでも行かんだろう。
美味しそうなメニューがある
美味しそうなら、美味しそうなほど、高い
高いが、食べたいので「あたし食べたい」と言う(念のため書くけど相対的に高いだけで、あくまで庶民の店)
父いわく
「そんな料理は家でも出来る」
へえ、父はこんな繊細でキレイな料理できんのか、ならまあ家で食えるならいいかと思う。じゃあなんで外食なんか行くんだとは、当時でも思った。
何年待っても、父が「家でも出来る」という料理をすることはなかった。
別のバージョンで、「メニューは盛り付けでキレイに写真になっているが、食えば同じ、出てくればガッカリする、だから一番安いものを喜んで俺のカネで食え」と言うのもあった。
例え数百円の料理でも、父のカネで食う以上、それがラーメンでも蕎麦でも、私に選択権・拒否権はない。
天蕎麦かとろろか、父がダメと言えばそれはダメ
こいつ・・・ねと思った
(ただ竹淵の在学中に・・・なれると何かと困るのは分かっていたから、思うだけだった。ずっと思った。今でも思う。)
早く大人になって、今は何だかよく分からないけど、とにかくいい思いがしたかった。男は生涯出来ないと、男児にいじめられた保育園時代から思っていたから、取りあえず大学ってのに行って、偉くなって、お金が欲しいと思った。
(いい男が欲しいとも、恋がしたいとも思わなかった。男はプライベートでいらない)
お給料をもらうようになって
マーチを買った 今も乗っている ボレロ、日産のオーテック いいだろう 素敵 好き
父いわく
「車ってのはどんどん買い替えたくなる、すぐに飽きる」他色々なんか憎まれ口を言っていた。
ああなんて下らない人なんだろうと思う。よく、「かわいそうな人だった」とか言う感想を親に抱く人がいるけど、志賀もそうだし。私は父にそう思わない。
(いやだって、父は自分のカネと時間で好きな事して暮らしていて、自分自身の欲のためならブツブツ言わず諭吉さんを何人でも手放せる男。) |
|