■図書館に行くと、赤毛のアンシリーズがありますが。作者はこの美しい物語を書きながら
・夫に作家業を憎まれていた(モンゴメリ程の作家に書くなってどういう事) ・夫がうつ病だったのだが、周囲の理解のない時代だったので隠し続けた
そうです。そして自殺に近い死に方をしたとも言われます。そんな事を知らなければ、おとぎの国の話なのにと思いますが、よく読むと救いのない部分もあったなと思いました。
(あえて言うと。登場人物が圧倒的にアンの関係者にしぼられていて、ギルバート側の家族の事がほとんど出てこない。アンの生んだ子供達の名前は、アン、シャーリー、ダイアナ、マシュー、マリラなどお馴染みの名前ばかり。
少し不自然なくらい、アン中心に思えた)
■若かった頃の自分の供養をしようとして。
昔から、お祝い事は滅多にありませんでしたが、お悔やみにはよく立ち会ったなと思いました。誰が病気になった、誰が倒れた、誰が亡くなったなどは、田舎ゆえか、風より速く伝わります。
まさかと思われるかもしれませんが、親類の37回忌に参加した事があります。もう二度とないでしょう。33回忌だったか忘れました。
(偉人でもなんでもなく、ただの爺さん。ちなみに近所で人妻を奪い、目と鼻の先に新居を構えた変な人だった)
さて
一人では死ねない訳で
・何らかの事情で、孤独死しても
・死亡届提出、火葬、収骨、埋葬、相続、保険・・・等に人手がいる。
・残念ながら、「省ける」ことは少ない。仮に本当に孤独死して発見されかなかったとしても、いつかは戸籍上から削除される手間が生まれる。失われた年金じゃないけど、150歳の戸籍上の人類なんていないので、最早別件の事件になる。
多感な頃、死んじゃいたいなと思って
死ぬって、お葬式、お見舞い、お見舞いのお返し、クソ面倒臭い事の山積み(遺族が)、相続、「悲しい」フリ、新聞に載せるかどうか、葬儀場はどこか、どいつは香典を寄こさない、どの医者は不親切だった、あの親類は口うるさいだけで何もしねえ・・・・等が起きるじゃんと思い、死ぬって面倒臭いし、一人じゃ完結出来ないし
あ、仮に学校で死んだとして、「あのクソ竹淵、こんな面倒臭い死に方して、本当にクソだった」「新聞に載るじゃない」「あー本当ゴミ女だったんだな〜」「まーこれじゃ死ぬわな」と、思われるなと。
康成が書くような清い死に方には、程遠いなと思いました。うん、どうであれ自分で「始末」出来る金と知識を得るまで、生きていようと思いました。Content-Disposition: form-data; name="image"
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