■好きって
「ママとの思い出だから」「学生の頃友達と楽しんだ」等が理由で何かを好きになるのも全然いいと思うんですが。一個もいい思い出のない竹淵に、それは余りに過酷、残酷です。
「好きなもの」だけ抱きしめて、地獄を生き抜いてきたと思っています。
今でこそ、食うに困らない収入と
(大事。昔どんなに家の畑等手伝いをしても、10円ももらえなった事がトラウマ。「てめえが真に必要なら俺を説き伏せて10円もらってみろ」という家庭だった。ぼっちはみじめだから友達を作れと命じる割りに、交際費は出ない家)
一応健康で、そんなにデブでもない体と
(母が忙しくて家で孤独で、あった煎餅や米など食っていたらデブになって、学校でいじめられた。もともとスポーツ大嫌い 今でも嫌い あんなんスポーツエリートのヒマつぶしだと思わないでもない・・・かなあ、文化的なもんなのかな、分からない)
そこそこ潤っている肌と
(食い過ぎと、遺伝的肌質と、日焼け止め等へのスキンケアの知識不足から、ボロボロで膿みだらけのニキビ顔だった。多分、オタクの楽しみがなかったら自殺していた。肌の悩み〜なんて、何もしなくてもツルツルの人には絶対に分からない。竹淵さん、顔ちゃんと洗ってんの?と言った人を、よく殺さなかったと思う)
・・・あるからいいようなものの
見るもの見るもの、ロクな感情を引き起こさないので困っていたところ
イニDで、ハチゴーをバカにする人達(池谷・健二も)に怒る拓海が好きでした。その後、どの車にも「物語」があって、作った人の愛情や努力があるのだと知り、
父の買いまくったクルマ達を、少なくともクルマそのものは憎まなくなったと思います。おのれマツダとかいつまでも思っていたら、涼介受の小説書けない訳で。
うん、リアルないい思い出に紐づけない「好き」があってもいいんじゃないかと思います。
あのクルマいいなーとただ思えればそれで十分幸せじゃないかと思います。どうしても他人は、「竹淵さんのお父様の影響だね」とか紐づけたがるので、もう誰の前でも「好きなもの」の話しないでいいかなと思います。
京一とか、頭いいキャラ好きですが、逆に言うとリアルな「バカ」が嫌いです。バカと言うか、デブ・ニキビ・根暗で、ただでさえ苦しむ竹淵を、更に追い詰めたバカな「男子」達は嫌いです。
その「バカ」な方に、実父も個人的には入るので、エボイイなーと私が言った時、「竹淵さんのパパもエボ乗っていたの?車好きなんだってね」とか言われたら、社会的な目を気にしない暴力的な事をしそうなので、余程明るい状況でないと言いません。 |
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