 ■奥鬼怒の温泉が、群馬の何かのイベントとコラボと聞いて。
奥鬼怒。単純に鬼怒川温泉の奥というより、群馬の丸沼や日光の光徳温泉を「地図上」で北に向かった場所にあります。が、丸沼や戦場ヶ原で「奥鬼怒温泉」の広告を見たことがありません。公共交通が、群馬&奥日光からないからなのかなと。
地図上は近いけれど山が険しく、鬼怒川温泉からひたすらバスで西に行くのが唯一の方法のようです。(あとは「登山」好きな人のコースは確かあった)
そこまで調べて。自分が来月行こうとしている川俣温泉がほぼ奥鬼怒でした。遠いかもと思っていた日光・湯西川よりもっと遠かったです。素敵。
■近所の温泉のキャッチコピーが、「フルムーンパスの広告になった」なんですが。そもそももう国鉄以来のフルムーンパスなんて、ないよなあと。
(同じくらい、「与謝野晶子が泊まった」のも全国にあるキャッチフレーズだと思う。これ、晶子がどんどんダメになっていく、浮気もする鉄幹に変わって、短歌のセールスのために全国を回っていた事を思うと、うーんと思う。
当時はパソコンも携帯もないので、ある程度人の集まる所に行くと、「歌の会」になり、歌集を作り、宣伝の機会にもなったらしい。晶子は猛者)
で、フルムーンパスについて
えげつねえと
(京一さんがえげつないのは粘り強さであって、精神的には至ってフェアな男だと思う、ただしフレンドリーな振舞いは不得手。だから清次を連れているのもあるだろうけど、清次はあれが個性なんだから仕方ない 清次いい子)
フルムーンパス利用の要件
・男と女の、生活を共にする二人組である事。婚姻証明は必要ない。男と男ないし女と女の二人組は、役所等の証明があっても不可(※ウィキ)
・男女の年齢の合計が88歳以上
は?男45歳、女43歳くらいか?
当時のことなので、初婚年齢は20代半ば
つまり子供が二人以上いたとして、おおよそ高卒で就職するか、娘なら結婚しているかもしれない年齢になると思われる
当時の大学進学率を思うと、一部の人間しかいっていないので、今ほど「5割大学へ」という時代ではない。裕福な家なら兎も角、仮に令和の世に25歳で子供が出来たとして、45歳ならまだまだ子供は「大学生」。今なら、子供の学費のために働く年齢では
40歳過ぎれば、一息つけるなんて思えない
むしろ人生半ばで、忙しすぎる。フルムーンパスの時代の平均寿命は70歳くらいだったが、今は人生90年とか平気になってきた 金も健康も危ういのに
・当時の有力な交通機関は、間違いなく「特急」だった。超長距離な寝台列車も豊富だった。昨今新幹線の整備に伴い、三セクの増加、新幹線ありきの旅行プランなど、フルムーンに合わない鉄道体系になったのでは。私鉄乗れないしさ
あと、単純に鉄道好きでないとこんなに乗れないのでは?同じ金出すならハワイ行っちゃいそう。
というか、男がいるかいないかでサービス分けないで |
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