■それからを読んでいます。最後、代助は父と兄からの援助がなくなります。志賀があれほど好きにしていたのに、貧窮しない身だったことを思います。
当時、代助に白樺派の人達は自分を重ね、破滅する代助に納得しなかったらしいです。そうだよなあ、白樺派の若者の資源って無限だからねと思いました。
■近年の性の乱れとか、なんやかやについて。流石にSNS利用の話は昔はなかったわけですが、
紫式部の頃、基本的に「ラブレターは音読か回し読み」
紫式部の頃、基本的に体育館の様な広間に、布垂らして部屋にしていたので、セックスは丸見え(というか使用人達には丸聞こえだったのでは、通い婚だし 着物の重みもあるけど、それでも源氏から逃げおおせた空蝉の体力)
乱れ?ではないと思いますが、文字というものが始まって今に至るまで、大体事は既出じゃないかなと。
自家用車や鉄道の登場、で変わった面も多いと思いますが。
令和の世が好きなわけじゃないですが、別に昔がおしとやかだったなんてことないよなと。と、荷風の戦後の小説を読んで思いました。
問わずがたり
・荷風の小説らしい、貴族的な男性主人公
・隣家の美人姉妹 姉とも妹ともデキる男
・無論、自分の女中さんともデキる
(この辺で妻が他界)
・男、妻の連れ子とも関係する
・連れ子の娘は縁談があったが、なんやかやで破談。そんなか育ての父と関係し、父の愛人だった女中さんともめ、女中さんは田舎に帰る
・連れ子、一時は勝者の気分を味わうが、結局女中さんがいないと家が保てないし、いつまでも続く関係ではないので家を出て行く男 薄情
連れ子、「お嫁に行けない体にされた!」いや君は相当序盤からアレだったろう。
薄情で不埒で、誰も幸せにならないのが荷風の筆だと思う。財産に困る描写はない、荷風が金持ちだから。
こんな乱れた事あるか、と思うんですが
実際のこの時代の家はもっとひどくて。「女中さんの暮らし」みたいな本を読むと、書生、息子、旦那さんなどが当たり前の様にレイプするのだそうです。騒げば事が大きくなるし、誰も女中さんの味方にならないから(※妻は何も言えない立場)、被害者は数多いるようです
防ぐ方法はありません。日本家屋なので、鍵もないし、女中さんの部屋は台所の端っこみたいな雑な場所なので、出入りも「自由」です。
戦前の漱石かそれ以上の家には必ず「女中さん」が一人以上いました。
なんで女中さんなんてなるん?と言えば
他に女の職業がなく、「花嫁修業」としてイメージがいいからとも言えたようです。戦後、家電製品の登場等で女中さんもいなくなりましたが、女性の地位は上がらないなあと。
むしろ、女性複数人でやっていた家事・育児・介護が、たった一人の「主婦」の無休・無給の仕事になった悲劇の始まりでは。 |
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