・米澤先生の、氷菓以外の作品を読んでいます。氷菓、古典部シリーズと結構肌さわりが違うのかなと構えて読んでいましたが、同じシニカルながらアットホームな感じがして安心しました。
古典部と言うか氷菓。多分、あれ以上折木とえるの話が続くのはないんじゃないかなと思います。大人になった折木や、えるが女子っぽくなっていくさまは気になりますが、あの日あの時の彼等の姿が見られたのだから、それでいいと思います。
イニDの拓海も、毎朝豆腐配達してくれていていいんだよと。あの日あの時の君がいいから。
(※逆に言うと、いつまでも峠を攻めたり、車を改造していてもらっては「困る」とも言えるので、時間は進まなくていいと思っている。あー、でも若い頃の文太がメインの漫画かアニメは見たい!)
・近年だと頭文字Dの二次創作を書いていて
自分の書いた場面の前後や時系列、イメージしていたものを、読み直した後で分からなくなりかけていて、ショックでした。時系列は大事にしているつもりだったんですが、端折った記憶がないのに、書いた自分が分からないなら、相当やばいと思いました。
なんで涼介、二回も京一におはようと言う?と読んでいて思って。京一の回想の中の涼介と、現在進行形の涼介が、続けて出て来たからだと、読んで思い出しました。
いいマンガなら、朝チュンやコマの雰囲気等で、回想と現在進行形の区別がつくはずですが。京一の独白に頼るからこうなるんだと。
(独白だと、「今日はバカに暑い」等でなんとなしに気象、季節等を示すけど。「今日の日光市は、紅葉も終わりつつあるのに、日中は夏日のようだった」等、地の文に頼れない。
小説とすると、氷菓の折木みたいな語りが、ほぼ地の文を兼ねて、いいなあと思う。でも京一が、折木みたいに延々話す事はないだろうし。独白であそこまで書き込めるのは稀では。
独白だと、京一の興味のあることに集中できていい。けれど、自ずと書けない事が増えるのが困る。京一の知らない事、関心のない事、背景的な事柄は書けない。鴎外の雁?) |
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