・気持ちの整理で書くんですが
・「自分は女でも性豪!老いた今も、若い頃も〜」みたいなことをとうとうと語る、さるプロの人がテレビにいて
ふーんと思いましたが、「え?普通に痛くない?」「生理中とか、アカンやろ」と遠い話に聞こえました。
千差万別、個々の問題なんでしょうが、なら、「あたくしが世界一!すんばらしい!!オンナの中のオンナ!こーんな体験できない女はフコー」みたいな主張やめ・・・・ないでしょう。
自分が嫌いなのは、かすかにイニDにもある「女は男をさりげなくチヤホヤし、おだてあげて気持ちよく出来ないとポンコツ」という空気です。くだんの女性は、要は「自分は男に有用な女!女体!」いうお話だったんだろうなと
へーと
・司馬史観ってのがあるんですが。
自分は多分、間接、直接で影響を受けているんだろうなと思います。ただし、中国を舞台にしたものは、余りに例えば陳舜臣先生のものと趣きが異なるので、?????と思い、参考程度にしか読みませんでした。
陳先生に、全く偏りがないとは言いませんが。同じ時代、同じ人物をテーマにして、ここまで違うとなれば、「何かが違う」と思いました。どちらが正解ということもないのなら、自分は陳先生や、横光三国志の世界を取りました。
うーんと思うのは
エロ描写が近代的
何をしてエロかと言うと難しいけど、現代には現代の、当時には当時のエロがある訳で。主人公たちの性にたわむれれる様子が、「えー司馬さんのエロの好みやろ?」と思った時、これ、創作だなと思いました。
創作がダメとかは全く思いません。でも、エロについては、昔の興奮するポイントと、少なくとも司馬さんの世代で近代的なエロは違うでしょう
いつの世も男女は男女!と思うのは甘いです
小説でそこまで時代的なエロを再現できるかって言うと、多分出来ないから、あー司馬さんの好みかーで読み飛ばした気がしました。面白いかどうかじゃなくて、あーこういうの好きなんだーと。
どんな創作でも、全く異なるエロを各作品で展開できるなら別ですが。ふと、大人気作家東野圭吾でも、「出て来る美女達の顔が大体同じ」らしいので、うん、と思います。 |
|