 ・今、44歳なんですが。婚活していた時大体28歳でした。30歳という未知の領域に単身入るのが怖くて、「伴侶」が欲しかったのでしょう いませんが(あえて言うなら日産マーチK12なんだろうか 本当に日光行くのも婚活行くのも、マーチと一緒だった ありがとう)
当時の婚活相手、大体40代がらみでした。その年で「ママに言われて、嫌々お嫁さん探し」しているあたりで事故物件と言ってもいいんですが、当時の私は「人間ならいい・・・」とすさんでいました。
結果、こいつ人間じゃねえと思う事の方が多かったです。挙式だのなんだのをしてみると、「人間の汚さ」を見ました。緑色の紙万歳
で、自分が40代になってみると
とてもじゃありませんが、20代のボーイズを婿にしようとは思えません。ボーイズにはガールズがいいでしょう。やっぱり、自分の婚活は気が狂っていたと思います。
なんで、自分の事出来ない、縁もゆかりもない一回り年上に、意味もなく渾身捧げる女がいると思うねん(※大恋愛しているなら・・・・まあうん)
・ジョージ・オーウェルを読んでいます。読みやすそうなエッセイ集、次にパリロンドン放浪記、今はカタロニア賛歌です。
なにかで、「浮浪者に慈善で紅茶を支給する教会があって。100%善意で行っていても、紅茶をほどこされた浮浪者が協会に感謝することはなく、むしろ礼拝中に大騒ぎし、収拾もつかなかった」というパリロンドン放浪記の一説を読んだからです。
後半の、イギリスでの浮浪者生活の方に記載がありました。
うん、漱石も言っていたけど、「何かで頭を下げざるを得ない時、人はその敬った頭に足を乗せる機会を求める」とか。
えーと思いますが
事情があって、実家にお金を入れたら
「そんな金、俺だって払える」とか実父が言っていました。こっちも事情故に金を入れるだけで、仮に1000万円家にいれようとも、こいつは納得しないどころか、「そんなことしてもらわなくてもよかった」と言うのでしょう
じゃあ教会は浮浪者への施しをやめるのか?
私は実家への納金をやめるのか?と言えば
まあ事情次第だろうなと。逆に近隣のお寺だと、「仏様のため お坊さんのため」莫大な金銭が檀家から集まって行くので、施ししているのこっちですが |
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