 ・日光市、奥鬼怒温泉郷を予約してみました。勢いだけで予約したので、「川俣温泉とほぼ同じ距離」と軽めに思っています(バスで40分程の差)。
塩原でも「群馬から来た」と言うと、「草津も伊香保もあるのにどうして?」と聞かれますが、あんまり聞かないで下さい。群馬にいるのが辛いからです。
・康成って微妙な時期なんだよなと
例えば志賀や漱石だと、ギリ東海道全線開通後であって
(神戸まで行けるようになったのは1889年 キンちゃんは1867年生なので帝大入学前 ちなみに千葉で比較的早い外房線が大綱〜蘇我開通したのが1896年
漱石のこころに千葉へ旅行した話があるけど、ほとんど徒歩)
気持ち、志賀や漱石は宮脇氏の頃のイメージに近いかもしれません。地方鉄道はあったりなかったりですが、幹線はほぼあったので
これが、なんとなく同じ文豪枠だろう康成になると、一気に変わります。ノーベル賞受賞の頃(1968年)、もう東海道新幹線は走っていました(1964年開通)。
康成の世界を、高速鉄道では味わえません。在来線や、船あっての世界でしょう。今だと、鉄道がないならバスに乗ればいいとか言われそうですが、モータリゼーション的には 鉄道(ケーブルカーなど含む) → バス の順です。
康成は、一瞬の日本の美しさを永遠と見たのでしょうか(関東大震災前?)。康成の生きた瞬間って、短かった気がします。でも二つの大戦、関東大震災等を経験した人で、激動を見てきたわけで
そこまでの激動を見ているのに、なんで自死したのかよく分かりません。在来線が新幹線になったからって? |
|